俳優業引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 16:22 UTC 版)
「ダイアナ・セラ・キャリー」の記事における「俳優業引退後」の解説
1938年にペギーはゴードン・エアーズと結婚し、その数年後ベイビー・ペギーのイメージから距離を置くためダイアナ・エアーズという名前を採用した。当時ラジオ番組作家として働いていた彼女は、自分の素性を理解した人達が自分の作家能力よりも語り手ベイビー・ペギーに興味を持っていることに気付いた。後に彼女はダイアナ・セラ・キャリーへと改名し「(ゴードン・エアーズとの)離婚後にカトリック教徒になった時、私は堅信名としてセラを採用しました。ボブ(2番目の夫)と結婚したとき、キャリー夫人になりました」と説明している。 役者を終えると、彼女は電話交換手、本屋の店員、土産店のマネージャーとして働き、フリーランスの作家業へと飛び込んだ。 長年にわたる感情的葛藤およびハリウッド関係者やメディアからのあからさまな嘲笑があった後、キャリーは最終的にはベイビー・ペギーという過去と共に平和を築いた。彼女はハリウッドを題材とした出版業、歴史家、作家としての職業で成功を収め、中でも子役スターとしての彼女の自叙伝『What Ever Happened to Baby Peggy:The Autobiography of Hollywood's Pioneer Child Star』や自分と同期だったライバル子役クーガンの伝記『Jackie Coogan: The World's Boy King: A Biography of Hollywood's Legendary Child Star』を書いて成功した。 キャリーは成人すると、ハリウッドの荒っぽい業界人やハリウッド人気子役たちの過酷な労働条件といった、初期の映画産業に関する数多くの著書に取り組んだ。自叙伝の最後で、彼女はジュディ・ガーランドやシャーリー・テンプルを含む多くの人気子役たちの末路を列挙している。また彼女は「A Minor Consideration」という組織の一員として子役保護法(child performer protection laws)の改革を提唱した。 キャリーは自分の作品に関する数多くのTVドキュメンタリーやインタビューに出演し、無声映画祭にゲスト出演した。 99歳の時、キャリーは自身初となる小説『The Drowning of the Moon』を自費出版した。
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