俳優業と初期の著述業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/26 13:27 UTC 版)
「ジェローム・K・ジェローム」の記事における「俳優業と初期の著述業」の解説
1877年、姉ブランディナの演劇熱に触発されて、ジェロームはハロルド・クリッチトン (Harold Crichton) の芸名で役者をやってみることを決めた。彼は、ある移動劇団に加わった。この劇団は格安で演劇を提供することを試みており、時には衣装や小道具の購入資金を俳優自身の貧弱な財源に頼ることすらあったのである。後にジェロームはOn the Stage - and Offの中でこの時代をコミカルに回想している。当時、彼は明白に無一文であった。3年後、地方巡業中、うだつの上がらない日々の中で21歳のジェロームは舞台生活に見切りを付け、別の仕事を探すことを決意した。彼はジャーナリストになろうとして随筆や風刺文や短編小説を書いたが、大半は不採用だった。続く2-3年の間、彼は教師、梱包業者、事務弁護士の秘書であった。最終的に、1885年に彼はOn the Stage - and Offで成功した。このユーモラスな本が刊行された事は、さらなる戯曲や随筆への道を開いたのだった。続く1886年にはユーモア随筆集Idle Thought of an Idle Fellowが刊行。1888年6月に、ジェロームはジョージナ・エリザベス・ヘンリエッタ・スタンリー・マリス (Georgina Elizabeth Henrietta Stanley Marris) 、別名エティー (Ettie) と結婚した。彼女は最初の夫と9日前に離婚したばかりだった。5年の結婚生活による連れ子が一人いて、呼び名はエルシー(Elsie) 、本名は母親と同じジョージナであった。蜜月はテムズ川で過ごされた。この事はジェロームの次の(そして最も重要な)作品、すなわち『ボートの三人男』に重大な影響を与えたのであった。
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