俳優引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 05:01 UTC 版)
2009年(平成21年)より山梨県韮崎市で耕作放棄地を使って農業を始める。当時、俳優業は「半分引退した」と語った。 2012年(平成24年)2月初旬、2013年1月に公開予定の『東京家族』(監督・山田洋次)主演から既に降板したことを発表。2月23日に都内で行われた「第64回日本消防協会定例表彰式」に出席した際にプレスインタビューに応じて映画を降板した理由として、クランクイン直前に東日本大震災が発生。故郷の宮城県をはじめ被災地で、公私ともに苦しい生活の続く人々が多いなか「どういうテーマであれ、今は映画を撮っている時じゃない。それは(山田洋次)監督も同じ考えだった」と語った。菅原はこの席で震災以後、劇映画の存在理由が見いだせないことを語った上で、自身が震災直前まで都内の病院に入院していたことも告白している。 2012年(平成24年)11月13日、菅原が名誉顧問を務める民間非営利団体「ふるさと回帰支援センター」の設立10周年記念講演の席上で、56年に及ぶ役者生活にピリオドを打った旨を明らかにした。この時「デジタルはお断り」というコメントも発表しており、映像製作環境の変化にも言及している。12月5日には有志らとともに国民運動グループ「いのちの党」を結成し、代表として活動した。なお、「いのちの党」と名称が付いているが、あくまで「仲間の集まり」の意であって政界進出を意識してのものではないという。また、以前より噂されていた政界への進出は完全否定をした。入院直前の11月1日には、沖縄知事選候補の翁長雄志の応援演説に出席していた。また、自分の「がん完治」体験を元に、「がん克服」をテーマにした講演を入院直前まで度々行っている。第46回衆議院議員総選挙(12月16日投票)にあたっては、小沢一郎らが結党した日本未来の党の賛同者に名を連ねたほか、松本龍の個人演説会で応援演説を行なった。 引退宣言以降もラジオでレギュラー番組『菅原文太 日本人の底力』のパーソナリティ、テレビドキュメンタリーのナレーターやCM出演などは務めており、2012年7月公開のアニメ映画『おおかみこどもの雨と雪』にも声優として出演。結果的にこれが菅原の遺作となった。2015年7月公開の映画『未来シャッター』(監督・高橋和勧)に内諾していたナレーターは、宇梶剛士が遺志を引き継いで出演している。
※この「俳優引退」の解説は、「菅原文太」の解説の一部です。
「俳優引退」を含む「菅原文太」の記事については、「菅原文太」の概要を参照ください。
- 俳優引退のページへのリンク