修繕された主な艦艇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/24 07:44 UTC 版)
「佐世保海軍工廠」の記事における「修繕された主な艦艇」の解説
三笠 1905年(明治38年)9月11日に佐世保港内で爆沈した。翌年8月に浮揚し、1908年(明治41年)4月に修理を完了した。 肥前 旅順港に着底していたロシア戦艦レトヴィサンを回航し、日本仕様の艦体の改装・兵装の換装を実施した。 能登呂 1924年(大正13年)、給油艦機能を維持したまま、水上機母艦機能の増設を実施した。 第四十三潜水艦 1924年(大正13年)に龍田に衝突し沈没、全員殉職。浮揚後の復旧作業を実施した。 出雲 1932年(昭和7年)に勃発した第一次上海事変のために艦隊旗艦設備を溶接で増設。2週間の予定を3日で完工した。 由良 1932年(昭和7年)、同型艦鬼怒の試験を経て、長良型として初めて呉式カタパルトを制式採用する工事を実施した。 友鶴 1934年(昭和9年)に発生した転覆事故に際し、乗員救出作業から復旧・復元性改善まで一貫して担当した。 安宅 1934年(昭和9年)に帰国した際、復元性改善のためのバラスト追加、重油専焼缶への換装、船体延長を実施した。 加賀 1934年(昭和9年)より1年かけて全通式空母に改装。煙路の変更や居住区の改善などを同時に実施した。 赤城 1938年(昭和13年)より三段甲板を廃止し、加賀に準じた全通式空母に改装した。 大鷹 1941年(昭和16年)5月より8月にかけて、長崎造船所で建造途中の春日丸を航空母艦に改造した。 北上 1941年(昭和16年)8月より9月にかけて、魚雷発射管の換装・増設を実施し「重雷装艦」に改装した。 最上 1942年(昭和17年)末より翌年春まで、三隈追突の復旧を兼ねて後部甲板の拡張で「航空巡洋艦」化を実施した。 千歳 1943年(昭和18年)1月より8月の間に水上機母艦より航空母艦に改造。 北上 1944年(昭和19年)8月より半年間で「回天母艦」へ改装され、クレーンの増設や艦尾スロープへの変更が実施された。
※この「修繕された主な艦艇」の解説は、「佐世保海軍工廠」の解説の一部です。
「修繕された主な艦艇」を含む「佐世保海軍工廠」の記事については、「佐世保海軍工廠」の概要を参照ください。
- 修繕された主な艦艇のページへのリンク