付属施設・遺物および研究史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/24 13:49 UTC 版)
「コナベ古墳」の記事における「付属施設・遺物および研究史」の解説
コナベ古墳は、盾形の周濠をともない、三段築成のそれぞれの段に円筒埴輪列があることを確認している。左右のくびれ部にはそれぞれ台形様の造出しをともない、葺石の存在も確認されている。葺石は上層に人頭大、下層に握り拳大の礫石が使用されている。1696年(元禄9年)の松下見林『前王廟陵記』には墳丘内の石材の露出と円筒埴輪、葺石の検出について記されている。また、明治初年に大阪の造幣局技師として日本に招かれたイギリス人ウィリアム・ゴーランドの実測図によって海外に紹介された。 コナベ古墳は、「小那辺陵墓参考地」として宮内庁により陵墓参考地に指定されている。現状ではマツを主とする樹木に覆われており、野鳥が多く棲息している。被葬者は不明であるが、江戸時代には元正天皇の陵墓とみなされた一時期があった。 1979年(昭和54年)、奈良市教育委員会が前方部南側の外堤護岸工事のための発掘調査を実施しており、0.5メートル間隔で並ぶ円筒埴輪列が発見されている。埴輪は、黒斑を有し、突帯の断面は台形様を呈して、胴部の外面にヨコハケを施したものである。埴輪製作技法の詳細な検討により、市庭古墳およびウワナベ古墳に先行する諸要素の認められる遺物であるとの指摘がなされた。1985年(昭和60年)の後円部北側の調査では、後円部背後の二重濠については否定的な報告がなされた。それに対し、1997年(平成9年)の奈良県立橿原考古学研究所による発掘調査では、外堤部でやはり埴輪列を検出し、その東側では外周溝も確認している。外周溝のなかからは、三角板革綴短甲の破片や鉄鏃が出土している。 2009年(平成21年)11月から12月にかけて、宮内庁書陵部が墳丘裾の護岸工事にともなって古墳の一部を発掘調査しており、葺石のほか、西側の造出し部分で、直径約20センチメートルの円筒埴輪21点、南側などでも10点ほどの埴輪片が出土した。埴輪片には、柵形埴輪、蓋形埴輪、家形埴輪などの形象埴輪を含んでいた。この成果は、同年12月4日午前、日本考古学協会など15学会の研究者およびマスメディアに対して公開された。 この調査に先立つ2008年(平成20年)12月には、個人住宅の新築工事にともなう西側外堤部分の発掘調査が、橿原考古学研究所によって実施されている。この調査では、奈良時代の整地層において緩やかな勾配をもつ石敷遺構を確認しており、この遺構は、文献資料上、奈良期の天皇や皇族が宴会や騎射、曲水の宴などを催したとされる平城宮の外苑「松林苑」(しょうりんえん)の一部ではないかとする見方が提起された。さらなるデータの集積が求められるが、この推論の是非は別としても、古墳が庭園を構成する一部として取り込まれたことを示す考古資料として貴重である。 また、コナベ古墳前方部の西側から後円部北東にかけては、周濠に沿って10基の陪塚が整然と並んでいる。北西に立地する陪塚大和21号墳が径42メートルの円墳であるほかは、すべてがそれよりも規模の小さい方墳であり、陪塚のうち7基は陵墓参考地に指定されている(詳細後述)。
※この「付属施設・遺物および研究史」の解説は、「コナベ古墳」の解説の一部です。
「付属施設・遺物および研究史」を含む「コナベ古墳」の記事については、「コナベ古墳」の概要を参照ください。
- 付属施設・遺物および研究史のページへのリンク