京都高等工芸学校時代
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1899年2月: 第13帝国議会、京都市への官立工芸学校設置建議を可決。 1901年3月: 上京区吉田町 (現・左京区吉田泉殿町) の校地にて校舎着工。 1902年3月28日: 京都高等工芸学校設置 (勅令第98号)。 1903年4月: 専門学校令に準拠。 1903年9月10日: 第1回入学。本科 (修業年限3年) に色染科・機織科・図案科の 3科を設置。 本科を中学校卒業者対象の第1部、工業学校卒業者対象の第2部に分けていた (1923年まで)。 1905年: 校歌制定。『比叡の山を背に負いて』 1913年11月: 京都在住者の同窓会 「多久美会」 発足。 1914年: 学年始期を 4月に変更。 1920年11月: 大学昇格運動勃発。中澤前校長の諫めにより、専攻科設置運動に変更。専攻科は設置されず。 1926年5月: 同窓会 「京都高工会」 設立。 1929年: 本科に陶磁器科を増設 (旧・東京高等工業学校窯業科)。 1930年11月: 愛宕郡松ヶ崎村 (現・左京区松ヶ崎橋上町) に移転。この年、新校歌制定。『紫匂ふ比叡のみ山』 (金井喜右衛門 作詞、信時潔 作曲) 1932年10月: 30周年記念祭・新築校舎落成記念祭挙行。 1937年: 本科 陶磁器科を窯業科と改称。 1939年4月: 本科に精密機械科・人造繊維科を増設。同月、機械技術員養成科 (2年制夜間課程) を設置。 1941年3月: 機械技術員養成科を夜間専攻科 (機械科、3年制) に改組。 1942年4月: 本科に機械科・第二部精密機械科 (4年制夜間課程) を増設。
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京都高等工芸学校時代
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1924年4月に京都高等工芸学校図案科(現在の京都工芸繊維大学造形科学科)に入学。担当教授は建築家の本野精吾。在学中は、本野が舞台デザインに協力をしていた劇団「エラン・ヴィタール」にも参加した。1926年には、当時、京都高等工芸学校の英語講師をつとめていた、京都大学の若き哲学者の戸坂潤に兄事、さらに戸坂を通じて美学者の深田康算に私淑し、京都大学の哲学の講義に潜り込むなどした。1928年(昭和3年)に通常は3年のところを4年かけて京都高等工芸学校を卒業。この年、母と死別。
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