京都大学衛生学教室の調査
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「八丈小島のマレー糸状虫症」の記事における「京都大学衛生学教室の調査」の解説
中浜の調査により八丈小島のバクと呼ばれる病態は、下肢が太くなる象皮病がおもな症状であることが確認された。しかし、その原因については不明のままで、これを研究する医師や学者はその後しばらく現れなかった。 中浜東一郎に続く新たな研究者が八丈小島を訪れたのは、15年後の1911年(明治44年)9月であった。調査を行ったのは京都帝国大学衛生学教室に所属する吉永福太郎と帖佐彦四郎の2名である。当時、この京大の衛生学教室(講座)は松下禎二教授を中心として日本の各所に散在していた象皮病流行地の分布状況、および疫学や原因に関する研究を行っており、吉岡・帖佐の2名も松下教授教室所属研究者の一員として八丈島および八丈小島の象皮病調査に赴いた。 当時の日本の医学界では象皮病の成因についていくつかの説があり、フィラリア糸状虫によるものとする意見が多かった。その一方で、糸状虫感染が背景にあるとしても、皮膚が肥大する直接の原因は連鎖球菌であるとする考え方や、それがさらに進んでフィラリア糸状虫ではなく連鎖球菌のみに重点を置く研究者たちもいた。京大の松下教授はその旗頭であり、同教室の象皮病研究はいずれもそれを実証するためであった。吉永と帖佐も当然この説の支持者であり、八丈小島での調査も連鎖球菌感染説の見地で行われたことは否めないと、後年、寄生虫学者の森下薫は指摘している。 吉永と帖佐は八丈小島で12名のバク病患者の血液検査を昼間と夜間にそれぞれ行ったものの、1例もミクロフィラリアを認められなかったのに対し、丹毒様浮腫(バクの初期症状)を起こしている21名中、14名の患部および血液から純粋培養に近い状態で連鎖球菌を認めた。よってこの菌がバク病丹毒様発作の病原菌であるのかを確かめるために、その菌を微量、6名の患者の皮下に接種した結果、自然に発生するものと同じ発作が起きた。次に、加温殺菌して毒性を弱めたものを76名の患者に予防接種を行うと、発作の多い9月であったにもかかわらず、少なくとも八丈小島滞在中には発作はまったく起きなかったという。 これらの結果から吉永と帖佐は、小島のバク患者に見られる連鎖球菌が丹毒様発作の原因であり、かつ日本の他地域で実証したものと同じであって、日本の象皮病の大部分は連鎖球菌が原因であるといっても過言でないと結論づけている。 日本国内の象皮病は八丈小島の症例も含め連鎖球菌が主原因でなく、リンパ系フィラリア虫によるリンパ系器官の閉塞がおもな原因であることは今日では明らかであるが、原因論とは別に、吉永と帖佐が八丈小島で得た臨床所見の中には注目すべき事実があった。それは島民中76名の患者の中で、既往歴の聞き取り、および現段階において乳糜尿を患うものは1人もいなかった点であった。15年前に中浜東一郎が陰嚢水腫患者は1人もいなかったとする所見と合わせ、乳糜尿患者が1人もいない事実が確認された。
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