きょうと‐おおばんやく〔キヤウトおほバンヤク〕【京都大番役】
京都大番役
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/18 16:18 UTC 版)
京都の皇居や院など(のちに摂関家も)の警備に当たる職務を京都大番役という。地方の武士にとっては負担が大きく、その期間は平安時代には3年勤務であったが、源頼朝が半年勤務に短縮し、公家に対して武家の優位が確定する鎌倉時代中期になると3ヶ月勤務と大幅に短縮された。 しかしながら、平安時代末期においては地方の武士が中央の公家と結び付きを持つチャンスであり、大番役を通して官位を手にする事が出来た。つまり自らが在地している国の介・権介・掾に任命してもらう事で在庁官人としての地位を手にし、支配権を朝廷の権威に裏打ちしてもらうと言う利点があった。また、歌などの都の文化を吸収し、それを地方に持ち帰ることもあったようである。 逆にデメリットとして、こうした大番役は惣領に限らずその子が請け負う事もあったが、子が京にいる間に惣領がなくなった場合、地元で弟・叔父などが勝手に惣領の地位を収奪してしまう、という事態が起きることもあった(例:上総広常)。また、惣領である父が京にあって子が地元にいる場合、地元で騒乱があっても迅速な対応が出来かねるということもあった(例:畠山重忠)。
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