京都大賞典〜有馬記念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 13:02 UTC 版)
「スペシャルウィーク」の記事における「京都大賞典〜有馬記念」の解説
秋初戦の京都大賞典では今までで最高体重となる486kgで挑み、最終コーナーを2番手で通過したものの直線では追われてから全く伸びず、キャリアで唯一の掲示板外となる7着に終わった。 このころから調教で動かなくなり次走の天皇賞(秋)でも直前の調教では500万条件の馬に負けた。レース当日の馬体重は前走から16キログラム減の470キログラムだったが、馬体重が大幅マイナスになったのは、「ダービー時の体重 (468キログラム) まで近づければ、本来の走りを取り戻すかもしれない。」と考えた陣営が、体を絞ったためであった。レースでは、道中は後方につけて、直線に入ると末脚を披露しステイゴールドをクビ差抑えてレースレコードで勝利、タマモクロスに続く2頭目の天皇賞春秋連覇を達成した。 続くジャパンカップでは凱旋門賞でエルコンドルパサーを破って勝利したモンジューなどの海外から参戦した馬を相手に優勝した。 引退レースとなった有馬記念では、最後方の位置取りから同じく後方に控えたグラスワンダーをマークするという、宝塚記念とは逆の形の作戦を取った。前半1000メートルの通過タイムが64 - 65秒という極端なスローペースとなったが、最後の直線で溜まった末脚を出し、一気にグラスワンダーを捉えた地点がゴールであった。体勢はスペシャルウィークが有利であり、勝利を確信した武豊はウイニングランを行った。しかし写真判定の結果、首の上げ下げの差でわずか4センチ差で2着に敗れていたことが判明。レース後、武豊は「競馬に勝って勝負に負けたという感じです」と答えた。
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