亀田ジム設立、2階級制覇達成
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「亀田興毅」の記事における「亀田ジム設立、2階級制覇達成」の解説
2007年10月11日の、WBC世界フライ級王者内藤大助と弟・大毅の世界戦では、大毅のセコンドにつき、不適切な指示をしたとして日本ボクシングコミッション(JBC)より厳重戒告処分を受けた。また、10月25日に予定されていた自身の試合も「対戦相手が決まらなかった」との理由で中止となった。なお、行われる予定であった試合については、10月26日の記者会見で以下のことが明らかになった。中止になった理由については、処分待ちの時点でリングに上がれないと亀田側が一方的に判断していただけであった。対戦相手は決まっており、相手も試合に向けて調整を行っていたが、試合のキャンセルの連絡を入れていないなど主催者側にも不手際があった。10月26日には金平会長が2度目の謝罪会見を行ったが、遅れる形で登場し一家を代表し一連の反則行為について謝罪した。記者からの反則を指示したのかどうかについて聞かれると「言い訳はしない。反省している」と述べ、遠回しに反則指示を認めた。この会見で興毅が代表して謝罪して記者から厳しい質問が飛び交いながらも真摯に対応した興毅にはその姿勢を評価したり同情的な声が上がった。一方で史郎に対しては一家の大黒柱でありながら「出席しないことでボクシングには関わらない」と発言して会見に出席せず、興毅を一家の代表として謝罪させたことに批判の声が上がった。 2008年8月12日、亀田プロモーションのチーフマネジャーである五十嵐紀行が会長を務め、ワタナベボクシングジムの渡辺均会長が推薦人となって申請されていた「亀田ジム」設立が、東日本ボクシング協会の定例理事会で承認された。 2009年9月16日、亀田プロモーションが、興毅、大毅が所属していた協栄ボクシングに、両選手が受け取るはずだった3試合分のファイトマネーなどの未払いがあるとして、計約1億円の支払いなどを求める民事提訴を東京地裁に起こしていたことが分かった。(2012年3月に協栄ジム金平桂一郎会長が係争中だった亀田ジムと和解したことを明かしている) 2009年11月29日、内藤大助に12回判定(3-0)で勝利し、ファイティング原田・柴田国明・井岡弘樹・畑山隆則・戸高秀樹・ホルヘ・リナレスに次ぐ、日本のジム所属の選手で7人目の2階級制覇を達成した。 2010年3月27日、有明コロシアムでWBC世界フライ級暫定王者・ポンサクレック・ウォンジョンカムと対戦し、0-2(112-116、112-115、114-114)の判定負けで王座統一に失敗し、僅か4ヵ月で王座から陥落した。これにより興毅にとってプロデビューしてから初めての黒星でデビュー戦からの連勝が22で止まった。さらに試合後に父・史郎が控え室でWBCやJBCの役員に対して暴言を吐き、メディアに対して「安河内剛(JBC事務局長)のクビをとる」などと不適切な発言をしたことから、亀田ジムの無期限活動自粛と興毅、大毅、和毅の3人の東日本ボクシング協会の協会預かり選手になることが決定した。無期限停止中となっていた父・史郎のセコンドライセンスを剥奪し、ライセンスの再申請を認めないことや、五十嵐紀行のクラブオーナーライセンス及びプロモーターライセンスの無期限停止処分も決定した、WBCからは史郎に90日間活動停止処分が出され、亀田陣営が申請していた興毅とポンサクレックの再戦も却下された。 2010年5月24日、吉井慎次が亀田ジム会長となり、亀田ジムの再スタートが決定、興毅、大毅、和毅の3人も亀田ジム所属選手として再スタートとなった。 2010年11月1日付で史郎に代わり亀田プロモーションの代表取締役社長に就任した。
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