亀田ボクシングジム
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亀田ボクシングジム(かめだボクシングジム)は、2008年に設立された亀田兄弟の所属ボクシングジム。当初の正式なジム名は亀田ジム。初代会長は五十嵐紀行。ジムは、東京都葛飾区にある亀田兄弟の自宅に隣接する(既存の道場を使用)。2008年5月9日付で協栄ボクシングジムとの契約を解除した亀田兄弟の新所属先として、2008年8月11日、東日本ボクシング協会に加盟。五十嵐会長は、亀田プロモーションのチーフマネージャー(ボクシング未経験者だが特例で承認された)。またトレーナーとなる元ワタナベボクシングジムの吉井慎次が管理責任者に就任をした。 2010年3月27日に行われた長男興毅初防衛戦であるポンサクレック・ウォンジョンカムに敗れたあと父史郎がJBC関係者に暴言を吐いた事件で亀田ジムは無期限活動停止処分となった。ジムへの処分は解除されたが、五十嵐もオーナーライセンス無期限停止となったため、吉井が後任の会長に就任した。この間、三兄弟は一時的に別々のジムで活動していた。 2011年8月31日に行われた、興毅と清水智信との間で行われた防衛戦を含めたダブル世界戦で、暴力団関係者が観戦していたことが判明し、同ジムは日本ボクシングコミッションから厳重注意処分を受けた。 2012年11月、メキシコ出身の元WBC女子世界王者アナベル・オルティスと契約を結び、三兄弟以外で初の所属選手となった。 2014年1月、世田谷区三軒茶屋に移転し、併せて一般会員も受け付ける。 2014年2月、IBF世界スーパーフライ級王者の大毅が、2013年12月3日のWBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦で敗れながらIBF王座を保持している負けても王座保持問題で、JBCが「職責を果たしていない」として亀田ジムの吉井会長と嶋聡マネジャーのライセンス更新を認めない方針を明らかにした。これにより亀田ジムは活動停止となり、JBCによってジムが機能を失うと日本国内ではプロボクサーとして試合できないため、興毅、大毅、和毅の三兄弟が国内で試合をするには、新たに会長、マネジャーを置くか他ジムへ移籍するなどの措置が必要になった。亀田三兄弟が今後国内で活動するために新会長やジム移籍を申請しても、JBCは書類のみでは許可せず、ジムの運営実態について厳格に審査して可否を判断する方針を示している。 2014年3月1日、東京都世田谷区若林に亀田三兄弟の新たな練習拠点としてK3 BOX&FIT GYM(ケースリー・ボックス・アンド・フィット・ジム)がオープンした。当初は外部からプロ練習生やフィットネス会員も受け入れる予定だったが、前述の理由からプロジムとしては活動できず、フィットネスジムとしての営業開始となった。 2014年4月21日、東日本ボクシング協会は理事会を開き、吉井会長がクラブオーナーライセンスを持つジムの会長としては名義貸しの状態で、ジム運営に携わっていない点や、ジム所属選手の海外での試合を報告せず安全管理を怠った点などの理由で吉井会長を全会一致で除名処分とした。 亀田三兄弟が国内で試合をすることも可能にする為の一時的な措置として亀田三兄弟を「協会預かり」にすることに関して、東日本ボクシング協会の大橋秀行会長は「無い」と断言した。 2014年4月25日、負けても王座保持問題に絡み、吉井会長と嶋マネジャーのライセンス更新を認めずに事実上の資格剥奪処分とした件の処分取り消しを亀田ジム側が求めた件について資格審査委員会並びに倫理委員会を開き、亀田ジム側が提出した証拠に再審議が必要と判断するものが無かった為、亀田ジム側の再審議請求を退けた。 2014年6月16日、東日本ボクシング協会が理事会を開き、亀田ジムが申請していた元協栄ジムマネージャー大竹重幸の新会長擁立について審議し、「頭をすげ替えただけでは認められない」として亀田ジムの申請を全会一致で却下した。 2016年8月31日、K3BOX&FIT GYMの営業を移転のため一旦終了すると発表した。しかし、10月に和毅の協栄ジム所属選手となったことなどもあり再開には至っていない。
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