久米路橋にまつわる民話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 06:51 UTC 版)
「犀川 (長野県)」の記事における「久米路橋にまつわる民話」の解説
1917年(大正6年)発行の『日本伝説叢書』に、犀川に架かる久米路橋(水内橋)にまつわる人柱伝説についての記述があるので、要約して以下に紹介する。 梅雨のたびに流されてしまう久米路橋に、村人たちは困り果てていた。何とかして川の神の怒りを鎮めようと、村で知恵者といわれた老人に意見を求めた。するとその老人は、自分たちの川の神に対する敬意が足りない、次に橋を架けるときは一人の村人を人柱にして神に供えよう、しかし罪もない者を人柱にするのは可哀想だから囚人を使おう、と提案する。そこで、庄屋から小豆の俵を盗んだ罪で捕らえた男を牢屋から引き出し、橋の杭の下に生き埋めにした。その男は村の外れで暮らす貧しい百姓で、お菊という名の娘がいた。お菊が自宅で毎日赤飯を食べていると言いふらしていたため、不審に思った役人が話を聞いたところ、その男が愛娘のために盗みを働いたことが分かった。 父親を人柱に失って以来、お菊はずっと悲しげな顔をして、一言も口をきかなくなってしまった。それから母親の手一つで育てられ、17歳になる頃には道行く人も思わず足を止めるほどの美人になっていたが、口のきけない娘を妻にする男は現れなかった。ある日、軒下で佇んでいたお菊は、鳴いたキジを狩人が鉄砲を使って撃ち落とす光景を目にする。黙っていれば命は助かったものを、父は私がしゃべったせいで死んだ、また誰かを死なせることのないよう、決して口をきくまい、と言ってお菊は再び口を閉ざし、それから一生口をきくことはなかった。 この民話は1957年(昭和32年)発行の『信濃の民話』にも「おしになった娘」という題で収録されている。これは下高井郡山ノ内町上条の高橋忠治による話を作家の松谷みよ子が再話したもので、娘(お菊)が「もりい」、父親が「五作」、母親(故人)が「おてい」という名前になっていたり、物語の最後で娘(もりい)が失踪するなど、『日本伝説叢書』のものと異なる点がある。菅忠道は「おしになった娘」について、「民話の再話と再創造の分岐点に立っているといえるような記念碑的な作品」と評価している。 これと似た人柱伝説は大阪府の淀川に架かる長柄橋にも伝わる(長柄橋#古代の長柄橋を参照)。
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