主要生産工場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:50 UTC 版)
独ソ戦によるドイツ軍のソ連領内侵攻で、工場は大規模な疎開を行って生産を続けることとなった。これら数カ所あった工場によって砲塔、車体の構成などが異なることがわかっている。 第183工場 ハリコフにあったハリコフ機関車工場(現V・O・マールィシェウ記念工場)でT-34の設計・試作が行われ、初期のT-34/1940年式の生産も行われた。この国営第183ハリコフ機関車工場(別名 コミンテルン、KhPZ)が独ソ戦開始後、ウラル山脈東方のニジニ・タギルに疎開して現地のウラル貨車工場(ウラルヴァゴンザヴォート)と併合し国営第183ウラル戦車工場(別名 ヨシフ・スターリン、UTZ)に改名して操業。T-34の開発工場であり、戦中を通しT-34生産の中核を担った。 スターリングラード・トラクター工場(別名 F.ジェルジンスキー、STZ) スターリングラード(現ヴォルゴグラード)にあった。立地条件の問題か、独自形状の起動輪や緩衝ゴム内蔵の鋼製リム転輪、独特の装甲板構成を持つ砲塔や車体など、生産が進むに連れ独特の仕様が多い車両を生産した。他の工場が疎開のため生産ラインが閉じてしまい、一時期はT-34を生産している唯一の工場となった。このためスターリングラード攻防戦の最中にも生産が続けられ、塗装もされていないT-34が工員の手により直接前線に向かったとの説もある。結局施設は灰燼に帰し、生産を再開したのは戦後になってからであった。 第112工場(国営第112クラスノヤ・ソルモヴォ工場) ゴーリキー(現ニジニー・ノヴゴロト)にあった。なお、この工場で生産されたT-34(1941年戦時簡易型)の初期638輌は、折り悪くV-2ディーゼルエンジンの製造工場が疎開中で入手が困難だったため、やむを得ずM-17Tガソリンエンジン(BT-7用にライセンス生産していた、BMWの航空機用エンジンを戦車用に改造したもの)を搭載している。外見上は後部の丸い点検ハッチが標準型よりやや小径で車体中央に寄っており、ハッチを固定するボルトが4つしかないことで識別できる。最も遅くまで「ピロシキ」型砲塔搭載の1941年戦時簡易型を生産した一方で、最初にT-34-85を生産した工場でもある。 第100工場(国営第100キーロフスキー工場) レニングラード(現サンクトペテルブルク)にあった。独ソ戦開始後、ウラル山脈東方のチェリャビンスクに疎開。もともと現地にあったトラクター工場と合体し、巨大戦車生産コンビナートタンコグラードを形成する。 第9工場(国営第9ウラル重機械工具製造所、UZTM) スヴェルドロフスク(現エカテリンブルク)にあった。当初はシャーシ、砲塔のみの製造を行う工場だったが、後に独自生産。 第174工場(国営第174工場ヴォロシーロフ製造所) レニングラードの工場がオムスクに疎開して成立。
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