主な登頂者とは? わかりやすく解説

主な登頂者

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 04:31 UTC 版)

エベレスト」の記事における「主な登頂者」の解説

1953年5月29日 - (南東稜、初登頂) - イギリスのジョン・ハント隊のニュージーランド登山家エドモンド・ヒラリーネパールテンジン・ノルゲイが、南東稜より世界初エヴェレスト登頂(1953 British Mount Everest expedition)を果たした初登頂者となり、ヒラリーイギリス女王エリザベス2世からサー (Sir) の称号授けられた。 1960年5月24日 - (北東稜、チベット初登頂) - 王富洲、屈銀華、貢布(中華人民共和国)が登頂。同隊の登頂成功については長らく西側諸国疑問持たれていたが、現在ではほぼ認定されている。 1963年5月22日 - (西稜初登頂世界初縦走) - ウィリー・アンソールド(英語版)、トム・ホーンバイン(英語版)がアメリカ人としては初めての登頂東南稜から下山1970年5月11日 - (日本人初登頂) - 松浦輝夫植村直己 1973年10月26日 - (秋季初登頂) - 石黒久・加藤保男 1975年5月16日 - (女性初登頂) - 田部井淳子9月24日 - (南西壁初登頂) - ドゥーガル・ハストン、ダグ・スコット 1978年5月8日 - (無酸素初登頂) - ラインホルト・メスナー、ペーター・ハベラー 1979年5月13日 - (ロー峠からの西稜完全縦走) - アンドレイ・シュトレムフェリ、イェルネイ・ザプロトニク 1980年2月17日 - (冬期初登頂) - クシストフ・ヴィエリツキ、レーチェク・チヒ5月19日 - (南峰直登ルート初登頂) - イェジ・ククチカ、アンドレイ・ジョック 5月30日 - (北壁初登頂) - 重広恒夫尾崎隆8月20日 - (無酸素単独初登頂)(北面未登ルート初登頂) - ラインホルト・メスナー 1982年5月4日 - (南西壁~西稜ルート) - エドゥアルド・ミスロフスキ、ヴォロディア・バリベルディン 1983年10月8日 - (東壁初登頂) - ルイス・ライハルト、キム・モン、カルロス・ビューラー 1988年5月5日 - (世界初山頂衛星生中継) - 日本テレビチョモランマ登山調査隊(同社開局35周年記念特別番組取材9月26日 - (初のパラグライダーによる下山) - ジャン=マルク・ボワヴァン、山頂から5900 mのキャンプ2まで。 10月14日 - (女性初の無酸素登頂) - リディア・ブレディ(英語版1995年5月11日 - (北東稜完全縦走による登頂) - 古野淳、井本重喜 2000年10月7日 - (初のスキー下山) - ダボ・カルニカール、山頂からベースキャンプまで、スキー脱がず下山2005年5月14日 - (航空機による山頂への初着陸) - ディディエ・デルサーユ(ユーロコプター所属パイロット)が操縦するヘリコプターAS350 B3山頂数分間にわたり着地同時に航空機による世界高高度への着陸記録達成した2008年5月8日 - 北京オリンピック聖火午前9時17頂上到達した2008年北京オリンピックのエベレスト登頂)。女性登山者の吉吉らの手リレーされ、チベット民族女性のズレンワンモが最終走者務めた

※この「主な登頂者」の解説は、「エベレスト」の解説の一部です。
「主な登頂者」を含む「エベレスト」の記事については、「エベレスト」の概要を参照ください。

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