主な奴隷船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/02 01:44 UTC 版)
アデレイド(Adelaide):フランス、1714年キューバ近郊で沈没 アンテロープ(Antelope)スペイン、The Antelope オロール(Aurore):フランス、Duc du Maine号と共に、アフリカ人奴隷を最初にルイジアナへ運搬 ラ・アミスタッド(La Amistad):一般の貨物船であったが、時折奴隷を運んだ。アミスタッド号事件を参照。 ブラウンフィッシュ(Braunfisch):ブランデンブルク製 ブルックス(Brookes):1780年代使用 クロティルダ(Clotilda):記録に残るアメリカ合衆国最後の奴隷船。1859年、奴隷の密貿易の証拠隠滅のためにアラバマ州モービルで燃やされ、自沈された。 コラ(Cora): 1860年、USSカンステレイション(USS Constellation)により捕獲 クレオール(Creole):クレオール事件(Creole case) デザイヤ(Desire):最初のアメリカ製奴隷船 エリザベス(Elisabeth):航路 ジャマイカ - 西アフリカ間 Duc du Maine:フランス、オロール号と共に、最初にルイジアナへ奴隷を運ぶ Fredensborg:デンマーク、1768年トロモイ島(Tromøy)沖で沈没 ゲレロ(Guerrero):スペイン、1827年フロリダキーズで561名のアフリカ人と共に沈没 ハンニバル(Hannibal):英国 ヘンリエッタ・マリー(Henrietta Marie):1700年、フロリダマルケサスキーズ(Marquesas Keys)で沈没。1980年代に発掘された ホープ(Hope):米国のブリッグ、ロードアイランドへ奴隷を運搬 ジーザス・オブ・リューベック(Jesus of Lübeck):重量700トン。 1564年、エリザベス1世により、ジョン・ホーキンズに貸与され、アフリカ人400名を乗せたジョン・ホーキンス2回目の航海に使用された。 Kron-Printzen:デンマーク、1706年、820名の奴隷と共に沈没 ル・コンコルド(Le Concord):後に海賊船「アン女王の復讐号」として使用される。1717年沈没 Lord Ligonier:アレックス・ヘイリーの著作『ルーツ(Roots: The Saga of an American Family)』に記述 ドン・フランシスコ(Don Francisco):1837年捕獲。植民地の貿易船「ジェイムズ・マシュー号(James Matthews)」として売却。 1974年 西オーストラリア博物館(Western Australian Museum)によって発掘 Madre de Deus (Mother of God):ジョン・ホーキンズによって捕獲、400名のアフリカ人を移送 マヌエラ(Manuela):サニーサウス(Sunny South)として建造。800名以上の奴隷と共に、モザンビーク海峡で、HMS Briskによって捕獲。 マーガレット・スコット(Margaret Scott): 1862年、差し押さえられ、閉塞船として沈没 Meermin:オランダ東インド会社によりアフリカ南部、マダガスカルで使用。1766年、反乱(Meermin slave mutiny)により破壊 ナイチンゲイル(Nightingale):1861年、961名の奴隷と共にサラトガ号によって、アンゴラカビンダで捕獲 Pons:米国製造、1845年12月1日、ヨークタウン(USS Yorktown)により、850-900名の奴隷と共に捕獲 サラマンダー(Salamander)ブランデンブルク使用 Sally:ロードアイランド州ニューポート Tecora:ポルトガル Triton:1861年、USSカンステレイション(USS Constellation)により捕獲 Trouvadore:1841年タークス・カイコス諸島で難破。奴隷193名が生存。2004年発掘プロジェクト開始 ワンダラー(Wanderer):アメリカ合衆国 Wildfire:バーク船。1860年、フロリダ沿岸で奴隷450名の乗船中にアメリカ合衆国海軍により逮捕 Whydah Gally:1717年沈没 ゾング(Zong):英国。1781年所有者が保険金を獲得するために病気の奴隷132名を船外に投げたことで知られる
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