中央競馬牝馬三冠への出走
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:26 UTC 版)
「ライデンリーダー」の記事における「中央競馬牝馬三冠への出走」の解説
詳細は「第29回報知杯4歳牝馬特別」を参照 1995年は「交流元年」と呼ばれ、中央競馬のGI競走が地方所属馬にも開放され、従来、中央に移籍しなければ不可能だったGIへの出走が、指定された中央の競走で指定着順以内に入った場合に限り、地方所属のまま可能となった。これを受けて荒川は、ライデンリーダーを桜花賞へのトライアル競走・報知杯4歳牝馬特別へ登録した。しかしこの時点で荒川は、ライデンリーダーが「あまり強い馬だとは」感じておらず、「たまたまレースがあった。使ってみようか」という程度の意欲であった。また安藤もその能力と見通しについては、「過去に自分が騎乗した3頭の傑出馬(オグリキャップ、フェートノーザン、マックスフリート)には及ばない馬だが、同じような印象を抱いていたオグリローマンが(中央移籍後に)桜花賞を勝ったので、まずは桜花賞へのチャンスが取れれば」という程度の見解であった。 3月19日、4歳牝馬特別(京都競馬場)に出走。初めての芝コースでの出走であり、「芝には馬を細く作る」という荒川の考えから、当日は前走から14kg減と大幅な絞り込みが行われていた。単勝オッズは3.5倍の2番人気。3着以内が桜花賞出走権を得る条件だった。スタートが切られると、道中で追走に手間取る素振りを見せ、安藤は常に手綱を押し続けた。最終コーナーでも進出する他馬から後れを取り、直線入り口では馬群の中に留まっていた。しかし直線半ばから大外に持ち出して抜け出すと、先頭を行くエイユーギャルを一気に交わし、3馬身半の差をつけて勝利。デビュー以来無敗の11連勝目を飾った。この時関西テレビで実況アナウンスを務めた杉本清は、「抜けたー、ライデン! ……これは強い、恐れ入った。なんとなんとライデンリーダー1着! ……なんとまあ強い! ……いやー、これは凄い!」と、所々で絶句しながらその勝利を伝えた。杉本は後に自著の中で、「絶句したのは、何か言ってやろうと思ったのですが、いい言葉が浮かんでこなかったからです。とにかく何にも言えずに、強さ、すごさに唖然として見ていたというところです」と述懐している。 地方所属馬として初の4歳クラシック出走となった桜花賞では、単勝オッズ1.7倍という圧倒的な1番人気に推された。しかし前走と同じく道中でついて行けず、終始馬群に包まれるという展開もあり、後方から追い込むもワンダーパヒュームの4着に敗れた。しかしこの4着で優駿牝馬(オークス)への出走権を獲得。迎えた同競走でも再び1番人気に推された。レースでは前走から打って変わり2番手で先行したが、1000m通過59秒0という早めのペースとなり、最後の直線で失速、ダンスパートナーの13着と大敗した。 夏を休養に充て、秋は公営・名古屋競馬場での東海チャンピオンシップを圧勝。その後、牝馬三冠の最終戦・エリザベス女王杯への出走権確保のためローズステークスに出走、後方からの追い込みで3着に入り出走権を得た。しかし11月12日のエリザベス女王杯は6番人気と評価を落とし、結果も13着と大敗。安藤は「人気先行で、実力は所詮この程度だよ」と厳しいコメントを残した。これで地方所属馬として初めて、また2009年現在唯一、中央競馬の牝馬三冠全てに出走した。同年は中央競馬での活躍を評価され、NARグランプリ年度代表馬に選ばれた。
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