中央競馬移籍後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/19 17:40 UTC 版)
翌1994年、中央競馬栗東トレーニングセンターの瀬戸口勉厩舎に転厩。中央競馬初戦は2月19日のエルフィンステークス。兄の影響に加えて武豊とコンビを組むという話題性もあって1番人気に推されるも、初めての芝コースということも影響したのか殿負けに終わった。中央転厩2戦目は桜花賞トライアルチューリップ賞に出走。主戦の武豊が中山遠征のため、田原成貴(前走エルフィンステークス1着、桜花賞1番人気3着のローブモンタントの主戦騎手)とコンビを組み、先行策を取った前走とは異なり控えて末を生かす競馬でアグネスパレードの2着と陣営にとっては手ごたえをつかむことができたレースとなった。 そして、3番人気で迎えた桜花賞では、鞍上を武豊に戻し最高の状態に仕上げられた。他馬を怖がる気性に最内枠という厳しい条件ではあったが、武豊の好騎乗もあり、直線では鋭い末脚を繰り出し、ゴール前はツィンクルブライドとの激しい追い比べになった。写真判定の結果、ハナ差で兄が成し得なかったクラシック制覇を果たした。またこの勝利で、武豊は史上2人目の桜花賞連覇を達成した。また、ウイニングラン中には、スタンドからオグリコールが沸き起こった。 この勝利によって、次走の優駿牝馬では1番人気に押されたものの、距離の影響もあったのか勝ったチョウカイキャロルに大きく離された12着に終わった。その後、秋競馬ではエリザベス女王杯など、4レースに出走したものの精彩を欠き一度も掲示板に乗ることは叶わなかった。翌年1月に脚部骨折したこともあって早々と現役を引退した。
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