両畠山家の和睦・上洛とは? わかりやすく解説

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両畠山家の和睦・上洛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 07:32 UTC 版)

畠山尚順」の記事における「両畠山家の和睦・上洛」の解説

永正元年1504年)になると、朝経と摂津守護代薬師寺元一反乱を起こすなど、政元政権における内部対立表面化する尚順はこの動き利用し総州家の義英を義尹陣営抱き込み12月18日和睦を結ぶことによって政元に対抗しようとするも、永正3年1506年)に政元と和睦した朝経に誉田城と高屋城攻略され義英と共に没落した越中においては神保長誠没後安定となっていた領国支配を、分家である能登畠山家越後守護代の長尾能景と結ぶことにより加賀一向一揆対抗しようとするも、長誠の子である神保慶宗離反起きて能景は戦死し般若野の戦い)、ここでもその対策追われる永正4年1507年6月、政元が暗殺され、朝経も丹後戦死すると(永正の錯乱)、9月に政元の養子細川澄元配下赤沢長経(朝経の養子が行った大和遠征抵抗したが、12月4日には義英との同盟決裂し、澄元と和睦、澄元の同族細川高国細川尚春及び赤沢長経援軍大和国人衆の合流得て、翌永正5年1508年1月に義英が籠もる嶽山城落とした。 だが、尚順これ以上勢力伸長危惧する長経は義英を嶽山城から逃し尚順義弟(妻の弟)にあたる高国を澄元に讒言、これにより高国は澄元に疑われ出奔することになる。この澄元との和睦義尹陣営からの離反に当たるかどうかだが、同時期の12月から1月にかけて義澄・澄元は義尹との和睦模索しており、尚順動き義尹陣営としての動きだった可能性考えられる直後に澄元と対立して義尹結んだ高国と共に澄元及び義英と敵対4月義尹周防守護大内義興奉じられ上洛すると高国と共に堺で出迎え支持表明した。そして、7月大和から河内攻めた長経・古市澄胤など澄元方有力者破り、澄胤は戦死し、長経は生け捕りにされて京で処刑された。 8月11日尚順京都宿所としていた東福寺海蔵院へ、将軍復帰した義尹御成実施された。義尹将軍復帰後初となる御成先を尚順としたのは、彼が明応の政変以来一貫した義尹支持者あり、かつ澄元与党赤沢氏討伐したことを評価したのであるが、それは同時に尚順義尹将軍復帰功労者であることを内外表明する意味を持つことになる。だが、一方で自分将軍復帰最大功労者考えてきた大内義興反感を買い、義興は尚順との不仲理由宴会途中で退席してしまい細川高国もこれに同調したため、義尹意図した大名序列形成失敗した永正5年頃、尚順出家し、卜山と名乗った永正8年1511年)、澄元陣営の上洛戦では、河内の義英方との戦闘紀伊守護代遊佐順房(筑前守)が戦死するなど苦戦するも、船岡山合戦義稙方が勝利したことによって再び優勢に立ったかくして将軍返り咲いた義尹の下で正式に守護職任命され尚順であるが、管領高国山城の守護職は義興が任命され、政長時代の権力を完全に回復するまでは至らなかった。尚順早い段階で京での活動見られなくなり嫡男鶴寿丸(後の稙長)を在京させ、自身河内などの領国下向していたと思われる永正12年1515年)、元服した稙長に正式に家督譲り隠居分国である越中紀伊統治専念した永正10年1513年)、義尹出奔した際には上洛し、義興・高国畠山義元との四人相談行い義尹交渉し迎え入れている。 これらの出来事については、「政争負けて隠遁した」と上述高国らとの対立軸語られることもあるが、澄元陣営巻き返し対抗するためという指摘もある。堺から上洛を狙う澄元軍への対策として和泉紀伊河内の国付近防備強化する必要があり、既に永正10年頃から尚順大和出身林堂山樹起用して領国整備行っており、下向も義興を通じて義尹許可得た上で行っている。分国安定を図るためには直接下向する必要性があったが、一方で義英への対抗上高国との結びつき継続させる意図から、稙長を在京させて自分領国支配乗り出したとされる

※この「両畠山家の和睦・上洛」の解説は、「畠山尚順」の解説の一部です。
「両畠山家の和睦・上洛」を含む「畠山尚順」の記事については、「畠山尚順」の概要を参照ください。

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