世界資本主義のなかでのロシア農奴制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 17:32 UTC 版)
「ロシアの農奴制」の記事における「世界資本主義のなかでのロシア農奴制」の解説
詳細は「農場領主制」を参照 しばしば「大航海時代の幕開け」と称される15世紀末以降、エルベ川以東のドイツ、中央ヨーロッパ、そしてロシアを含む東ヨーロッパでは、上述してきたように、封建領主が所領への緊縛と人格的な隷属とを強制した農奴による賦役労働によってみずから直営農場を経営し、主として西欧市場に向けた穀物生産を強化していった(穀物以外では木材が重要な輸出商品となった)。プロイセンではこれをグーツヘルシャフト(農場領主制)と呼び、他方、フリードリヒ・エンゲルスによって「再版農奴制」と名づけられた。すなわち、11世紀以降しだいに農奴の人格的解放が進んでいき、17世紀以降の市民革命でその解放が完成する西ヨーロッパに対し、東ヨーロッパにおいては16世紀から18世紀にかけての比較的新しい時期(近世)において、むしろ農奴制が確立し、強化されていったのであり、これを従来の歴史学では概して東欧・ロシアにおける「封建反動」「逆コース」の結果として解釈してきたのである。 しかし、イマニュエル・ウォーラーステインらの「世界システム論」によれば、グローバル資本主義のなかで「中核」となった西欧市場に対し、ロシアを含む東ヨーロッパは農産物など一次産品を供給する「周辺」として従属を余儀なくされたのであり、その結果、農業生産力を増大させていく目的で農奴制が強化されたものであると解釈しなおされた。つまり、先進・後進の二者関係ではなく、いわば同じコインの表裏というとらえ方である。ウォーラーステインは、『近代世界システム 1730-1840s -大西洋革命の時代-』において、18世紀においてロシア帝国産の鉄はなお重要な輸出品となっていたが、イギリスで新しい技術が開発され、ロシアの鉄輸出がふるわなくなったのち新たな主要輸出品として小麦が鉄にとってかわったという事実に注目し、ロシアの主要相手国がイングランドおよびスコットランド、アメリカ合衆国である(18世紀末以降はフランスもこれに加わる)ことから、特に、スコットランドとアメリカ(イギリスにとっての半辺境)は、1750年代以降、ロシアがヨーロッパを中核とする世界システムに組み込まれたことでその地位を高めることが可能になったと指摘している。このことについてウォーラーステインは、合衆国経済の繁栄は「ロシア農民の果てしない肉体労働と熟練の不十分な労働を利用し得えたから」であるというアメリカの歴史家アルフレッド・クロスビーの1965年の著作からの一節を引用し、また、ロシアの場合は、後世の歴史家がつとに指摘するような、悪名高い「後進性」をむしろ保障し、あるいは、それを促進するようなやり方で資本主義的世界経済に編入されていったと分析した。さらにウォーラーステンは、ロシアは、インド亜大陸やオスマン帝国、西アフリカなど、ロシアとほぼ同時に資本主義的世界経済に編入された他地域と比較すれば、なおも総じて高い国際的地位を享受してはいたが、しかし、最終的にこのことは、ロシア人をしてロシア革命を引き起こせざるを得ない力をロシア社会にもたらしたと結論づけている。
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