与次郎狐の伝説とは? わかりやすく解説

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与次郎狐の伝説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 14:59 UTC 版)

与次郎稲荷神社」の記事における「与次郎狐の伝説」の解説

出典慶長9年8月1604年9月)、佐竹義宣久保田城現在の秋田市)へ移って2、3日後、御座の間の庭に1匹の大現れて義宣へ訴え出た曰く自分神明山に300年余り住まうの長であるが、公がこの山へ築城されたことにより棲み家失った願わくば代わり土地を賜わりたい願い聞き届けられるならば、今後永く城の守りとなり、御用にも役立ちたい」。義宣がに、どのように役立つつもりかと尋ねると、火急の用あらば飛脚となり、江戸まで6日往復する答える。喜んだ義宣は、城北茶園近く土地与え、「茶園守の与次郎」と呼んで歩行並(かちなみ)の待遇とした。秋田転封前の水戸時代茶園守の与次郎という家臣居たので、その名を付けたのである以来6年間、江戸へ急用生じる度に与次郎呼び出され約束通り往復6日返書携え戻ってきた。 江戸までの道中六田現在の東根市)の飛脚宿に、間右衛門という男が居た。この男、最近飛脚宿泊少ないことを不審思っていたが、ある時佐竹の飛脚飛ぶよう速さ通り過ぎているという噂を聞きつけた。猟師の谷その事相談すると、谷は「それは違いない捕らえれば宿はまた繁盛する」と間右衛門唆した。そこで2人悪党仲間達と謀って好物油鼠仕掛け飛脚が来るのを待ち構えた江戸へ上る途中与次郎目敏く罠の存在気付き御用飛脚を罠にかけようとは不埒であると、意趣返し油鼠をすべて奪い取ってやろうとしたものの、運悪く網に捕らえられてしまった。せめて御用だけは果たすべしと御状網の目から外へ出すと、不思議なことに御状空へ舞い上がった。谷一打ちすると、与次郎呪いの言葉吐いて死んだ空へ舞い上がった御状小狐達が引き継ぎ遅滞無く江戸届いたという(与次郎の霊が届けたと語る伝説もある)。 間右衛門、谷らは奪った金を分け合い死体煮て食うなどしたがその夜から六田村の人々乱心する者が続出した近隣達が集まって祟ったもので、自らの指を食いちぎる者、岩に齧り付いて歯を砕く者など、一月余りの間に300人以上が狂い17人が死に正気の者は10人ばかりという有り様だった。騒ぎ幕府の耳にも届き代官杉本兵衛派遣された。伊兵衛現地惨状に肝を潰したが、正気の者たちから事のあらまし聞くと、与次郎をこの地で八幡祀ることとし恨み収めて立ち退くよう達に向けて呼ばわった。すると去り村人は酒の醒めるように回復した。しかし間右衛門と谷10日経たないうちに死に子孫もやがて絶えた事の次第伝え聞いた義宣は大い無念がり、久保田城内に与次郎祀る神社建立したまた、江戸へ往来する際には、六田で必ず与次郎祀られた宮に参拝した。義宣以降歴代藩主往来の際、街道から続く参道化粧砂を敷いて必ず詣で藩主参拝できない場合には御刀番が代参する慣わしとなった

※この「与次郎狐の伝説」の解説は、「与次郎稲荷神社」の解説の一部です。
「与次郎狐の伝説」を含む「与次郎稲荷神社」の記事については、「与次郎稲荷神社」の概要を参照ください。

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