与次郎ヶ浜の埋立と開発
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1965年(昭和40年)に鹿児島市と鹿児島県、谷山市が合同出資して設立された鹿児島開発事業団に対して鹿児島市が同年12月に与次郎ヶ浜(674,000平方メートル)の埋立工事を委託し、3か年計画で埋立事業が行われることとなった。翌年1966年(昭和41年)8月に着工された。 与次郎ヶ浜の埋立に必要となる土砂は与次郎ヶ浜に面する海底は急傾斜であり深すぎるため、浚渫による埋土の採取が困難であった。そのことから、同じく鹿児島開発事業団が開発を行っていた城山団地(現在の鹿児島市城山一丁目・城山二丁目)の開発時に排出された残土を甲突川に敷設したパイプラインで与次郎ヶ浜まで搬出する「水搬工法」が用いられた。パイプラインは流速毎秒8.2メートルで20時間稼働し、1日に2万平方メートルの土砂を送る能力があった。1972年(昭和47年)に与次郎ヶ浜の埋立てが竣工した。事業費総額は114億3千万円、埋立面積は1,089,096平方メートルであった。与次郎ヶ浜地区は環境スポーツゾーンとされ、観光・リクリエーションエリアとしての役割を担うこととなった。 与次郎ヶ浜が竣工した1972年(昭和47年)の4月には鴨池運動公園(現在の鹿児島県総合体育センター)が完成し、全天候型のトラックを有する鹿児島県立鴨池陸上競技場、ナイター設備を備えた鹿児島県立鴨池野球場、全天候型テニスコートなどが設置され、同年に行われた第27回国民体育大会(太陽国体)や、1982年(昭和57年)に行われた全国高等学校総合体育大会ではメイン会場となった。 1972年(昭和47年)にはサンロイヤルホテルが開業し、海中公園である「鴨池マリンパーク」が開業した。1986年(昭和61年)には鹿児島市海釣り公園が開業している。
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