三島賞受賞神経症を病むとは? わかりやすく解説

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三島賞受賞・神経症を病む

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:35 UTC 版)

車谷長吉」の記事における「三島賞受賞・神経症を病む」の解説

1983年6月担当編集者前田速夫からの強い呼びかけもあり、東京へ戻る。1983年から西武流通グループ広報室嘱託社員として勤務1985年から西武セゾングループ五十年史編纂委員会事務局に転勤)して生計立てながら執筆をする。1985年吃りの父が歌った軍歌」(『鹽壺の匙』所収)を『新潮』に発表する白洲正子から作品絶賛する私信受け取る。以後白洲が死ぬまで目を掛けられ続け「私の生き方継いで欲しい」と遺言受けている。 1993年苦節20年にして初の単行本『鹽壺の匙』を上梓する。表題作では、車谷の故郷播州飾磨舞台として語り手叔父自殺遂げるまでの内面が、没落地主階級社会的歴史的厚みの中で精細に描かれた。高い評価受けて第43回芸術選奨文部大臣新人賞平成4年度)と第6回三島由紀夫賞受賞 する吉本隆明江藤淳から絶賛された。1993年詩人高橋順子結婚する1995年人員整理セゾングループ解雇されキネマ旬報社嘱託社員 として、『キネマ旬報』の校正仕事につく。同年短編漂流物」で第113芥川賞候補となるが落選する。作者模した語り手が、料理人時代同僚から身の上話聞かされて、少年殺害告白されるという内容作品である。当時の『日本経済新聞』に芥川賞選考経過記事出て、「漂流物」が本命視されていたが、題材不条理殺人事件が、物情騒然たる時代社会不安助長するかもしれないとされて、時の運落選したということ書かれた。後に直木賞受賞後第一作として発表され短編「変」(『金輪際所収)では、この年出来事描かれ落選の報を受けた日の真夜中選考委員の名を人形書き丑の刻参り行ったと書いているが、これは虚構である。 1996年芥川賞落選失意から、強迫神経症発症する幻視幻聴幻覚襲われ一日五百回から六百回手を洗っていた。この時期発病とその後経過について短編飆風」(『飆風所収)に詳しく綴られている。また、この時の夫婦状況題材にして、妻の高橋順子詩集時の』を刊行して、翌年同作品で読売文学賞受賞している。1996年西武セゾングループ資料室復職、週二日勤務となる。1997年単行本漂流物』で第25回平林たい子文学賞受賞している。

※この「三島賞受賞・神経症を病む」の解説は、「車谷長吉」の解説の一部です。
「三島賞受賞・神経症を病む」を含む「車谷長吉」の記事については、「車谷長吉」の概要を参照ください。

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