発病とその後
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平成11年(1999年)に乳がんを手術、その後平成16年(2004年)秋に肝臓への転移が判明したが、平成16年(2004年)11月26日には吉永光里への感謝の意味を込めて、自衛隊OBらが企画した「吉永光里〜感謝と激励のチャリティーディナーショー」(東京・キャピトル東急ホテル)に、医師の制止を振り切って出演、これが最後のステージとなった。 平成17年(2005年)1月14日に入院したが、すでに手遅れの状態であった。急を聞いた母・富子さんが北海道・佐呂間から急ぎ上京、必死で看病に当たったが、同月20日に容態が急変。「お父さんは?お父さんと食事がしたい」という言葉を最後に昏睡状態に陥った。その父・重一は吹雪で飛行機が遅れ、愛娘の臨終に一歩、間に合わなかった。 平成17年(2005年)1月21日10時20分頃、乳癌から来る肝不全により没。 平成17年(2005年)1月15日、吉永さんを病室に見舞った、元陸幕広報室長の宗像久男陸幕防衛部長は「その時は、『元気になってまた自衛隊の皆さんと会うのが楽しみ』と話していた。とても残念に思う。われわれの組織を体を張って応援してくれた彼女に、心から感謝している。こういう方は過去にもいなかったし、今後も現れないだろう」と語っている。
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