発病と義叔母ゾフィー大公妃
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「ナポレオン2世」の記事における「発病と義叔母ゾフィー大公妃」の解説
1823年、ディートリヒシュタインは母マリー・ルイーゼが息子を気にかけないことを手紙で直接忠告したが、その背景にはライヒシュタット公が結核を発病したことがあった。その夏、ライヒシュタット公は母と2年ぶりに再会し、後年、少年時代最高の思い出として振り返った。 1824年、フランツ1世の次男である叔父フランツ・カール大公がバイエルン王女ゾフィー(当時19歳)と結婚し、以降、舞踏会でナポレオン・フランツと踊る機会も多くあった。13歳を迎え、活発で美しく品格があるライヒシュタット公は、これを契機に社交界で広く受け入れられた。 やがて美しく気が強いゾフィー大公妃は、凡庸で野心を持たないフランツ・カール大公と不仲であるとされ、一方、年少のライヒシュタット公と親しく出かける機会も少なくなかった。 1825年9月、ライヒシュタット公は義祖母カロリーネ・アウグステのハンガリー王妃としての戴冠式のため、プレスブルクに同行した。
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