七賢人の略歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/30 06:07 UTC 版)
並びは出生順。 鍋島直正(閑叟) 1814年(文化11年)に佐賀藩九代藩主鍋島斉直の子として、江戸に生まれる。1830年(天保元年)に佐賀藩の第十代藩主となる。武雄領主鍋島茂義の影響を受け開明政策を採用し、1834年(天保5年)に佐賀城下に医学館を建てる(この後、公立佐賀病院の名称を経て、好生館と名を変え、今の佐賀県立病院好生館の原型となっている)。1850年(嘉永3年)に今の佐賀市に反射炉を建てる。明治維新後は議定に就任し大納言の位を受ける。1869年(明治2年)に開拓長官となるが任地に赴くことなく1871年(明治4年)に死去。 佐野常民 1822年(文政5年)に今の佐賀市川副町に生まれる。1855年(安政2年)に日本初の蒸気機関車模型を完成させる。1867年(慶応3年)にパリ万博にて赤十字について知る。1877年(明治10年)に大給恒らと博愛社を創設。1880年(明治13年)に大蔵卿に就任。1887年(明治20年)に博愛社を日本赤十字社と改める。1902年(明治35年)に死去。 島義勇 1822年(文政5年)に今の佐賀市に生まれる。1856年(安政3年)〜1857年(安政4年)に北海道と樺太を探検・調査。1869年(明治2年)に北海道開拓使主席判官に就任し、札幌のまちづくりの指揮をとる。1871年(明治4年)に秋田県令(現在の秋田県知事)に就任。1874年(明治7年)に佐賀の乱で敗れ、刑死。 副島種臣 1828年(文政11年)に今の佐賀市に生まれる。1869年(明治2年)に参議、1871年(明治4年)に外務卿、1892年(明治25年)に内務大臣に就任。1905年(明治38年)に死去。現在の、佐賀新聞の題字は本人によるもの。 大木喬任 1832年(天保3年)に今の佐賀市水ケ江に生まれる。1868年(明治元年)に東京府知事、1871年(明治4年)に初代文部卿、1873年(明治6年)に参議、司法卿、1880年(明治13年)に元老院議長に就任。1899年(明治32年)に死去。 江藤新平 1834年(天保5年)に佐賀郡八戸村(今の佐賀市八戸町)に生まれる。1871年(明治4年)に廃藩置県を行う。1872年(明治5年)に司法卿、1873年(明治6年)には参議に就任。1874年(明治7年)佐賀の乱で敗れ、刑死。 大隈重信 1838年(天保9年)、今の佐賀市水ケ江に生まれる。1870年(明治3年)、参議、1873年(明治6年)、参議兼大蔵卿になる。1882年(明治15年)3月、立憲改進党結成。同年10月、東京専門学校(現在の早稲田大学)を開校。1888年(明治21年)、外務大臣、1898年(明治31年)、内閣総理大臣(第1次大隈内閣)。1914年(大正3年)、2度目の内閣総理大臣(第2次大隈内閣)。1922年(大正11年)に死去、国民葬。
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