ヴァルナと血脈に関する主張
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 05:02 UTC 版)
「ヴァルナ (種姓)」の記事における「ヴァルナと血脈に関する主張」の解説
ヴァルナは血脈に限定されるのではなく、各人の資質によって決められるもの、という主張がある。『チャーンドーギヤ・ウパニシャッド』(四・四)の中のジャバーラーの息子サティヤカーマーの物語には、カーストは生まれだけでなく人格の問題であるという考えが見られる。 植民地時代のインド(英語版)では、西欧的な合理主義に基づいて、インドの近代化とヒンドゥー教の改革・復興を目指すヒンドゥー教改革運動(英語版)が起こった。 近代のヨーガ指導者のひとりパラマハンサ・ヨガナンダの『あるヨギの自叙伝』には、マヌが制定した本来のヴァルナ制は、霊的な差がありすぎる両親が子をつくると民族内の霊的なバランスが崩れてしまうため、霊的成長の度合いによってグループ分けをすることで対策をはかったもの、と記されている。それが形骸化して世襲になってしまったという。注釈では霊的本質を見ることのできるグルによって各人のヴァルナの審査は可能であると主張されている。とはいえ、どの民族にもこのような身分制はあり、カースト制度はインドの民族的純粋性を保ち、同化による消滅を防ぐのに役立ったとして一定の擁護もなされている。 ヒンドゥー教の新宗教運動または国際的ヒンドゥー教であるクリシュナ意識国際協会(ハレー・クリシュナ運動)も、同様の主張をしている。『バガヴァッド・ギーター』4章13節に記されたヴァルナの創造を、集団・身分の創造時のものではなく、各人の創造時になされること、と捉えている。裁判官の子が裁判官に向いているとは限らないが、民族や家系に関わらず、バラモンとして適した人物、ヴァイシャに適した人物が生まれる。それをクリシュナのヴァルナ創造としている。他ヴァルナの義務の実行を戒める章句についてもこの見方をとり、「バラモンの家系に生まれたとしても、シュードラの性質を持つ人はバラモンとして振舞うべきではない」という解釈をしている。クリシュナ意識国際協会では(バラモン家系出身ではない)西洋人の改宗者がバラモンの儀式を行っている。クリシュナ意識国際協会のウェブサイトでは、彼らの考える「本来の」ヴァルナをヴァルナーシュラマ・ダルマ(Varṇāśrama-dharma)と呼び、現行の一般的カースト解釈と区別している。 ただし同カースト間の結婚をその家系に洗練された子をもうけるために有効であったとしており、その意義を完全に否定したわけではない。 また、ヒンドゥー教改革運動を担った一人ヴィヴェーカーナンダも、カーストは出生や遺伝ではなく、その人の特質とトリグナ(tri-Guṇa、3つのグナ、三特性)の組み合わせによるものとした。宗教とカーストは関係しているように見えるが、そうではなく、「宗教においてカーストは無く、カーストは単なる社会的制度である」と述べており、ダルマ(法)を守るもの、各々に優れた職能による分業という社会制度としてのカーストは自然の秩序であるとして肯定し、カーストは存続すべきとした。彼は社会制度としてのカーストの劣化した悪い側面、生まれに基づくカーストを批判し、カースト外の不可触民(パーリア、南部インドの最下級民)への同情を示し、その生活の向上を訴えた。
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