ヴァルナの戦いと崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/18 06:45 UTC 版)
「ヴァルナ十字軍」の記事における「ヴァルナの戦いと崩壊」の解説
短期的な和約の取り決めを履行したのち、十字軍が再び動き始めた。ムラト2世は和約成立後に息子のメフメト2世にスルタン位を譲っていたが、この危機を前にスルタンに復位させられ、オスマン軍をもう一度率いることになった。1444年11月10日、両軍はヴァルナで激突した。このヴァルナの戦いはオスマン帝国が多大な犠牲を払いながらも決定的な勝利を収めた。十字軍はウラースロー1世をはじめ、1万5000人を失った。
※この「ヴァルナの戦いと崩壊」の解説は、「ヴァルナ十字軍」の解説の一部です。
「ヴァルナの戦いと崩壊」を含む「ヴァルナ十字軍」の記事については、「ヴァルナ十字軍」の概要を参照ください。
- ヴァルナの戦いと崩壊のページへのリンク