ワシントン・セネタース時代(1954年 - 1960年)
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「ハーモン・キルブルー」の記事における「ワシントン・セネタース時代(1954年 - 1960年)」の解説
キルブルーは当時MLBにあったボーナスルールの適用を受けて、契約からわずか4日後、18歳の誕生日を6日後に控えた6月23日にメジャーデビューを果たした。初日は代走での出場だったという。その後8月23日の対フィラデルフィア・アスレチックス戦ダブルヘッダー第2試合にて初安打、初本塁打は翌1955年6月24日にデトロイト・タイガース戦でだった。 しかしながら、ボーナスルール適用の2シーズン、キルブルーは93打数34三振、打率.215、4本塁打と力不足は否めず、三塁の守備においても不安を残したという。 ボーナスルールの適用が終わった1956年より、キルブルーはセネタース傘下のマイナーチームから始動することとなる。1956年は5月の時点でセネタースに昇格するが、打率.115と結果が残せず再びマイナーに降格、1957年と1958年シーズンのほとんどはマイナーチームで過ごし、怪我の補充要員としてセネタースに昇格することはあったが2年間でトータル22試合しか出場していない。 だが、マイナーで3年間確実に鍛えられたこともあり、迎えた1959年シーズン、セネタースの正三塁手だったエディ・ヨーストがデトロイト・タイガースに移籍したこと、またカルビン・グリフィスオーナーがキルブルーを後釜に据えるべくバックアップしたことから、キルブルーは正三塁手としてプレイすることになった。これが奏したのか、同年5月1日から17日にかけて、キルブルーは5回の複数本塁打を放つほか、5月12日の試合では初の1試合5打点を記録するという固め打ちをやり、前半戦終了の時点で28本塁打を放った。同年のオールスターゲームにも初出場した。後半戦も14本塁打を放ち、終わってみれば42本塁打を記録し、キルブルーは自身初のアメリカンリーグ本塁打王を受賞した。また、新人王候補にも投票されたという。 1960年シーズンは怪我で出遅れたこともあり、復帰は5月になった。同年は124試合出場で31本塁打を放ち、チームはリーグ2位だったが、このシーズンを最後にセネタースはミネソタ州に移転、チーム名もミネソタ・ツインズに変わることが決まる。
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ワシントン・セネタース時代
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「テキサス・レンジャーズ」の記事における「ワシントン・セネタース時代」の解説
1960年シーズン限りで、1901年のアメリカンリーグ発足から60年間に渡ってワシントンD.C.に本拠地を置いていたワシントン・セネタースがミネソタ州ミネアポリスに移転(現・ミネソタ・ツインズ)。翌1961年の球団拡張に伴い、新たなワシントン・セネタースとして創設された。初年度は以前のセネタースに引き続きグリフィス・スタジアムを使用し、翌年からはロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアムを本拠地球場とした。しかし発足初年度から4年連続でシーズン100敗を記録、1968年まで8年連続負け越しと苦しいシーズンが続いた。1963年途中からはギル・ホッジスが監督に就任、徐々に成績が上向いてきたところで1967年に退任。ホッジスは翌1968年にニューヨーク・メッツの監督となり、1969年にメッツを初のリーグ優勝と世界一に導いた。 東西2地区制が導入され、アメリカンリーグ東地区所属となった1969年に打撃の神様テッド・ウィリアムズを監督に迎え、86勝76敗で初めてシーズンを勝ち越し。観客数も球団史上最高の918,106人を動員した。この頃には後に太平洋クラブライオンズでもプレイするフランク・ハワードが主砲として活躍。1968年には44本塁打で本塁打王を獲得し、1970年にも44本塁打・132打点で二冠を獲得。しかしチームの躍進も1969年限りで、翌年からは再び負け越し、1971年には観客動員数も655,156人に落ち込み、球団はワシントンD.C.を離れることになった。セネタースとしての歴史は、1971年9月30日のニューヨーク・ヤンキース戦がファンの乱入などで没収試合となり、その幕を下ろした。
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