ロングストリートのノックスビル侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/11/24 02:12 UTC 版)
「ノックスビル方面作戦」の記事における「ロングストリートのノックスビル侵攻」の解説
ブラクストン・ブラッグは、カンバーランド峡谷とブルースプリングスでのバーンサイドの勝利に反応し、またバーンサイドが包囲されているチャタヌーガの北軍の救援に向かうのではないかと心配し、アメリカ連合国大統領ジェファーソン・デイヴィスに、ジェイムズ・ロングストリートがバーンサイドに対抗して進軍する命令を出すよう求めた。ロバート・E・リーの北バージニア軍第1軍団の一部を率いたロングストリートは折りよくジョージア州北部に到着し、チカマウガでの南軍勝利に大きな貢献を果たしていた。ロングストリートはその命令に強く反対した。勢力的にかなり劣ることを知っていたからである。ロングストリート軍は2個歩兵師団(ラファイエット・マクローズ少将とミカ・ジェンキンス准将がそれぞれ指揮。ジェンキンスは負傷したジョン・ベル・フッド少将の師団を引き継いでいた)の総勢10,000名とジョセフ・ウィーラー少将の騎兵隊5,000名であり、対するバーンサイド軍は12,000名の歩兵と8,500名の騎兵だった。さらにチャタヌーガ周辺の南軍は残り4万名となり、グラントおよびウィリアム・シャーマン少将の接近しつつある援軍に勢力で負けることも知っていた。ロングストリートは、勢力を分散することで、「我々は双方を失敗に向かわせることになり、実際に自ら大きな結果を生むチャンスが無くなる」と主張した。 ロングストリート軍が鉄道での輸送の準備をしている間に、11月6日、テネシー州グリーンビルで小さな戦闘が起こった。ロバート・ランサム・ジュニア少将とウィリアム・E・"グランブル"・ジョーンズ准将がその地域の北軍騎兵隊を蹴散らし、第7オハイオ騎兵隊と第2東テネシー騎乗歩兵連隊から多くの捕虜を取った。 ロングストリートの作戦はノックスビルまでのほぼ中間にあたるシーウォーターまで鉄道で動くことだったが、問題が起きて困難な旅になった。期待していた列車が時間通りに到着せず、兵士達は徒歩で出発した。列車が到着するとそれは牽引力の無い機関車が引っ張っており、荷物を積んで山岳地をとても進めないものだったので、険しい区間では兵士達が降りて列車の横を歩くしかなかった。工兵は燃料の薪を十分に用意できず、兵士達が止まって途中にある塀を分解して積まなければならなかった。ロングストリート軍と装備の全体がシーウォーターまでの全工程60マイル (96 km)を進むために8日間を要した。11月12日に到着した時、約束したはずの物資が届いていなかった。バージニアからこの方面作戦に移動してきた兵士達はきたるべき冬に備えた適切な食糧や軍装を装備していなかった。 リンカーン内閣はバーンサイドの居る状況が心配になり、何週間もノックスビルを離れて南に向かうよう督促していたにも拘らず、今度はノックスビル市を守るよう命令した。グラント将軍はチャタヌーガから救援遠征隊を編成しようとしたが、バーンサイドは冷静に、その軍隊から5,000名を南西のロングストリート軍に向けて前進させ接触しながら緩りとノックスビル方向に後退して、そのことで南軍が容易にチャタヌーガに引き返しブラッグ軍を補強しないようにするという提案を行った。グラントは直ぐに承認した。11月14日、ロングストリートはラウドンの西でテネシー川を渡す橋を建設し、バーンサイド軍の追跡を始めた。 ウィーラーの騎兵隊が11月15日にノックスビルに接近しホルストン川の南岸から市内を見下ろす高地を占領しようとしたが、ウィリアム・サンダース指揮下の北軍騎兵隊の抵抗と川の南岸にある砦の砲台からの脅威もあって、その作戦を放棄し川の北岸にいるロングストリート主力部隊に合流することになった。
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