レペゼン地球の結成~下積み時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 22:30 UTC 版)
「Repezen Foxx」の記事における「レペゼン地球の結成~下積み時代」の解説
当時、DJとしての知名度は皆無だったためクラブ側からのオファーは望めなかったことから、Twitterやホームページで出演希望の連絡を送り続けたり、知り合いに電話で何度も連絡するうちに「ノーギャラでもいいなら」という条件で出演させてもらえるようになる。2015年2月頃本格的にDJとしての活動を開始。ヒッチハイクや高速バスなどで全国を回ってDJ活動を行っていたが、社長は客の印象に残すために「フリートークをしながら合間にちびまる子ちゃんやアンパンマンの楽曲を流す」という異色のスタイルで活動していた。 クラブDJは一般的に、海外のEDMを絶え間なく流し続けるものであるため、社長のパフォーマンスはクラブの関係者などからは快く思われず、Twitterに悪口を書かれ続けたが、却ってそのために認知されるという効果を生んだ。また、この頃から知名度を上げるためにTwitterで動画をアップロードするようになる。その後も知られる「テキーラ一気飲み」もこの頃からのネタである。 奇抜なDJパフォーマンスとネタ動画の投稿を続けていった結果、少しずつ知名度と人気が出てくるようになりオファーも増え始める。その内複数の現場からオファーが来る事態が何度か続くようになり、社長はDJグループを作ることを思い立つ。8月25日にDJ社長、DJふぉい、DJ BANBANの3人でレペゼン地球が結成された。 社長はふぉいに声をかける際、「お前の人生凄い大きく左右させるような話やし、ネットでお前の悪口いっぱい書かれるけど、それでも大丈夫か?」と聞いたが、ふぉいはあっさり快諾し、翌日「学校辞めてきましたよー!」と報告してきたという。その後、社長は銀太にもふぉいと同じことを聞いたが、「何かに誘われるのかなと思ったんで、もう部活と学校辞めてきました」とこちらもあっさり快諾。10月7日にDJ BANBANが脱退しDJ銀太が加入。レペゼン地球として本格的に活動を開始する。 当時は金が無かったため3人で高速バスで移動し、宿泊代節約のためクラブのソファやラブホテルの駐車場で仮眠を取ったり、イベントの主催者の家に泊まらせてもらったりしていた。せっかく現場に辿り着いたのに客が5人ほどしかいないということもあったという。また、DJだけでは食べていけないため「エルフ」というバーの経営で生計を立てていたが、この時の店長が脇で、まるがバイトをしていた。「当時のレペゼン地球がDJ活動に専念できたのは彼らのおかげだ」と後に社長が語っている。しかし、博多Lifeは1年余りですっかり衰退してしまい、福岡国際センターでのイベントの際に250人いたスタッフも10人弱にまで減少した。 2016年1月にはYouTubeを開始。レペゼン地球の知名度も上がってくるが、活動内容を快く思わない人々も多く、ネットで「あんなのDJじゃない」「色物」「すぐ消える」などといった悪口を書かれ続けていた。そんな中、同年4月にYouTubeに公開した2thシングル「YSP」の過激な歌詞が賛否を呼び(ちなみに「YSP」は「ヤリ捨てポイ」の意味)、SNS上で話題になり一気にブレイクする。 その後も毎日のように全国のクラブでライブを行っていたが、社長は「この活動を続けても多分きゃりーぱみゅぱみゅ超えれないな」「レペゼン地球がDJ回すって言ったときに、何人の人がわざわざ俺らのために来てくれるんだろう?」と考えるようになる。”クラブに既にいるお客さんを楽しませる”という従来のやり方ではなく、「自分目当てのお客さんを作ろう」と考え、チケットぴあでチケットを販売し、昼間の時間帯にライブハウスで全国ツアーを行う(通常のクラブイベントは深夜帯営業で、DJやイベンターが知り合いや通行人に声をかけて来てもらうのが普通だった)。地方によっては10~20人しか来ない所もあったものの、東京では200人分のチケットを完売。自分たちを目当てに来てくれた人が200人もいることに感動したという。 その後社長は自分の活動にけじめを付けるため、福岡でバー「Paris」「エルフ」を閉店、博多Lifeの事務所も閉鎖する。全く行けていなかった駒澤大学も退学し、音楽とYouTubeの活動に専念することとなった。
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