ヨーロピアン・エアバス構想
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「エアバスA300」の記事における「ヨーロピアン・エアバス構想」の解説
「エアバス」という言葉は、もともと特定の機種名や企業名を指すものではなく、「中短距離用の大型ワイドボディ旅客機」という意味合いで使われ、その語源は1960年代の欧州の大型機構想にある。1950年代終盤に707とDC-8が相次いで就航すると、本格的なジェット旅客機の時代が到来した。航空旅客は爆発的に増加し、1960年代の中盤になると旅客機の大型化が望まれるようになった。空港に行けばいつでも飛行機に乗れる時代が到来すると予想され、バスのように気軽に乗れる飛行機として「空のバス」すなわち「エアバス」という言葉が生まれた。 1964年にイギリスでは王立航空研究所の主導でメーカーや航空会社も参加した委員会が開かれ、今後の欧州には大量輸送用に経済的な短距離輸送機が必要になるとの考えから様々な機体案が検討された。フランスでも1961年から1962年頃にエールフランスがカラベルの後継となる大型短距離旅客機の開発を求めており、1963年から1965年にかけてシュド、ノール、ブレゲーらのメーカーが200席から250席級の旅客機構想を相次いで発表した。同じ頃、ドイツ(西ドイツ)の航空機メーカーは小規模だったため、1960年にメッサーシュミット、ベルコウ(英語版)、ジーベル(英語版)、ドルニエ、VFWなどの各社が集まりエアバス検討グループが立ち上げられ、後のドイチェ・エアバスの前身となった。 こうして「エアバス」への関心が西欧全体で高まり、1965年のパリ航空ショーの頃からドイツ・フランス間、あるいはフランス・イギリス間などでメーカー間の相談も始まるようになった。1965年10月20日から21日にかけて、英国欧州航空主催によるエアバスシンポジウムが開かれた。この会議に西欧各国の航空会社やメーカーが集まり、200ないし250席で新しい大型エンジンを備えた双発機というエアバス像が練られた。これに沿って1965年11月にはイギリス・フランス両政府のワーキンググループが以下のような欧州エアバスの概要仕様をまとめた。 座席数:200 - 225席(座席間隔34インチの1クラス) 航続距離:1,500キロメートル(810海里) 離陸滑走距離:2,000メートル 着陸滑走距離:1,800メートル その他、1座席を1マイル飛ばすためのコストは727-100より30パーセント低く、在来機よりも低騒音、自動着陸を可能とすることなども要求に盛り込まれた。 一方、米国でも1960年代中頃に大型旅客機を求める動きが盛り上がっていた。1965年秋に米空軍の大型輸送機CX-HLSの受注に失敗したボーイングは、その設計チームと培われた技術をもって超大型機747を開発することを決定した。これはパンアメリカン航空がメーカーに開発を呼びかけていた機材でもあった。また、1966年3月にはアメリカン航空が米国内幹線に適した「大型双発機」の要求仕様を発表し、メーカーに開発を促していた。これら米国の大型旅客機計画と比べると、欧州エアバスの要求仕様は特に航続距離が短く、欧州域内の輸送に適した旅客機を目指している点が特徴だった。
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