ヨーロッパの陸軍と海軍による段階的な採用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 16:30 UTC 版)
「マキシム機関銃」の記事における「ヨーロッパの陸軍と海軍による段階的な採用」の解説
まず、マキシムの会社は、兵器の有能さに関してヨーロッパの機関が確信するところのいくつかのトラブルを抱えていた。一般的に、兵士には機関銃に対する大きな不信感があり、これは戦いの最中、肝心なときに弾詰まりを起こす機関銃の傾向から来たもので、しばしば犠牲者を出す結果となった。 1906年の書物である小戦争では、1900年代の機関銃の重要な問題において、この時期、マキシム機関銃が他の機関銃よりもかなり信頼できることに注目している。著者が注目している440ページからは:「従来の形式は任務に適切なものではない……これらの機関銃はウルンディで弾詰まりを起こした。またドゥガリでも弾詰まりを起こした。またこれらの機関銃は、アブ・クレアとトフレクでも作動不良となった。いくつかの場合は不運な結果による。」 マキシム機関銃は従来のクランク作動の兵器よりは信頼性が高かった。しかし、機関銃であるがための不信は根深かった。また兵器の信頼性は証明されねばならず、配備へ移行する以前に完全に試験されねばならなかった。 さらにもう一つの実際的な問題は、マキシム機関銃の位置が、連続射撃から生じる砲煙によって簡単に暴露されたことだった。そこで国家や軍当局の関係者はこの兵器の採用を嫌った。無煙火薬の出現は、(開発者のなかにはハイラム・マキシムの兄弟であるハドソン・マクシムがいた)この状況を変える助けとなった。 マキシム機関銃は、ガーネット・ワースリー卿の紹介と尽力によってイギリス陸軍に採用された。彼は1888年、イギリス陸軍の最高司令官に任命された。同年10月には、彼は120挺の、ライフルと同じ口径を持つマキシム機関銃の発注を命令した。これはマティーニ・ヘンリーライフルと共用の.577/450弾薬を使用した。 ワースリーは以前アフリカ(アングロ・アシャンティ戦争と、1884年から1885年にかけて戦われたゴードン救援遠征隊)への軍隊の遠征を主導し、軍の改革と再建の強い支持者であるという評判を得ていた。彼がアフリカで実証を行ったとき、彼はそこで機関銃の使用を他と区別し、また他の型にはまらない戦術を調べるため、エジプトキャメル部隊を設立した。 機関銃のデザインはヨーロッパのほかの国々のいくつかによって購入され、兵器の技術競争が開始された。マキシム機関銃が最初に重要な任務に使用されたのは日露戦争のことである。そこでロシア軍は大量のマキシム機関銃を投入した。
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