ヨーロッパの金石学の略史
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「碑文研究」の記事における「ヨーロッパの金石学の略史」の解説
ヨーロッパの金石学は、16世紀から徐々に発展してきた。金石学の原則は文化によって異なっている。ヨーロッパでの金石学は、当初ラテン文字で刻まれた銘文の研究に集中した。ゲオルグ・ファブリシウス(英語版) (Georg Fabricius/1516–1571)、アウグスト・ヴィルヘルム・ツンプト(英語版) (August Wilhelm Zumpt/1815–1877)、テオドール・モムゼン(Theodor Mommsen/1817–1903)、エミール・ヒューブナー(英語版)(Emil Hübner/1834–1901)、フランツ・キュモン(英語版)(Franz Cumont/1868–1947)、ルイス・ロバート(英語版)(Louis Robert/1904–1985)などの金石学者による個人的な業績によって成り立ってきた。モムゼンと他の研究者グループによってはじめられた「ラテン金石文全集(英語版)」(Corpus Inscriptionum Latinarum)は、ベルリンにて1863年から戦争による中断はあったものの公刊され続けている。これは、ラテン文字による金石文の最大にしてもっとも手広く集成を行なったものであり、碑文の読解がされつづけるのに従って新しい分冊が出版されている。この全集は、地域ごとに集成が行なわれ、ローマ地域の碑文は第6巻に収められている。第6巻にはもっとも多くの碑文が収録され、最近では2000年に第6巻第8部第3分冊が刊行された。金石学の研究者は、しばしばラテン語の新しい碑文が発見されるたびにこの続巻が出版されることを期待している。たとえていうなら生物学者の動物学上の記録ではないが、まさに生の歴史資料だからである。 ギリシャ語の金石学については、モムゼンたちとは異なるグループの研究者たちの手によって別個の集成としてまとめられている。ひとつは、「ギリシャ金石文全集」(Corpus Inscriptionum Graecarum)といい、ベルリンにて4巻組みで1825年~77年にかけて公刊された。このシリーズの特色は、ギリシャ語を使っていた世界全体の碑文を包括的に集成しようとした最初の試みにある。研究しなれた学生しか使いこなせないので敬遠されている。 もうひとつは、最近の全集である「ギリシャ金石文」(Inscriptiones Graecae)であり、各分野ごとに分けてかつ地域的に分類しているものである。カテゴリーとしては、信条、目録、顕彰、墓碑銘など多様である。古典学での国際的中立性を保つため、本文はすべてラテン語で書かれている。ほかに金石学の主な碑文集成としては、「エトルリア金石文集成」(Corpus Inscriptionum Etruscarum)、「十字軍金石文集成」(Corpus Inscriptionum Crucesignatorum Terrae Sanctae)、「ケルト金石文集成」(Corpus Inscriptionum Insularum Celticarum)、「イラン金石文集成」(Corpus Inscriptionum Iranicarum)などが挙げられる。 マヤ文字研究の進展にともない、マヤ諸遺跡の碑文集成がハーバード大学のイアン・グラハム(Ian Graham)が編纂の中心になって「マヤ神聖文字碑文集成」(Corpus of Maya Hieroglyphic Inscriptions)と銘打って1975年より公刊されるようになった。主な遺跡のものとしては、ナランホ(2巻)(1975~1980年)、ヤシュチラン(3巻)(1977~82年)、ウシュマル(4巻第2部、第3部)(1992年)、シュルトウン(第5巻第1部、第2部)(1978年,1984年)、トニナー(6巻)(1983~1999年)、 セイバル(第7巻第1部)(1996年)、ピエドラス・ネグラス(第9巻第1部)(2003年)が挙げられる。
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