ヨハネスブルグで世界王座奪取とは? わかりやすく解説

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ヨハネスブルグで世界王座奪取

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 05:35 UTC 版)

ジミー・カラザース」の記事における「ヨハネスブルグで世界王座奪取」の解説

マネージャーマギルはタウィールへの挑戦交渉していたが、契約成立までに1年要した。カラザースのファイトマネー少なく契約書にはカラザースが勝った場合には南アフリカ再戦するという条項盛り込まれた。カラザースはマギルマコーネルと妻のマイラとともに南アフリカ渡った。 『シドニー・モーニング・ヘラルド掲載写真 『ザ・ウエスト・オーストラリアン』掲載写真シドニー・モーニング・ヘラルド1面 『ザ・ウエスト・オーストラリアン』1面 1952年11月17日1面オーストラリア初の世界王者誕生伝える『シドニー・モーニング・ヘラルド』と『ザ・ウエスト・オーストラリアン』 1952年11月15日プロ15戦目で、ヨハネスブルグのランドスタジアムにてビック・タウィールの持つ世界王座挑戦。この試合は、世界戦史上初となる無敗選手同士対戦だった。観衆28,000人。南アフリカボクシング試合では最多記録となった。タウィールは1950年5月にマヌエル・オルティスを倒して南アフリカ初の「普遍的に認められた」(NBA設立以降王座認定団体認定した世界王者となり、この王座3度防衛それまで27戦でダウン経験もなかった。 カラザースは試合開始から数秒のうちに重い左フック王者の顎に痛打。タウィールは目をカットして流血、顔を赤く腫らして当時3本だった(リング禍#団体システムへの影響参照ロープの間からリング下へ転落よろめきながらカウント9でリング戻ったが、すぐに連打さらされた。カラザースが147発のパンチを打つ一方、タウィールは1発も当てられず、ロープの間から合計2度転落した後、カウントアウトされ、助けられながらコーナー戻った。カラザースは初回2分19KO勝利を収め世界バンタム級王座獲得したオーストラリア人世界王座保持するのは1890年ヤング・グリフォ以来で、「普遍的に認められた」世界王者としてはオーストラリアであった。また同時に大英帝国(ブリティッシュ・エンパイア)バンタム級王座手に入れた決着がつくと数秒は会場静まり返り、それから何百人もの観衆リング突進して両者群がったが、警察駆逐された。 カラザースは事前にタウィールの試合動画全てチェックしルイス・ロメロのような強打選手からはパンチもらっていることを確認していた。マコーネルはタウィールはスロースターターと言い、「最初1、2ラウンド仕留め行け」と指示。カラザースは、この戦術勝利繋がった語った。またカラザースは、トランスバール・ナショナル・スポーティング・クラブ(タウィールをプロモートする会社)にはよくしてもらった話し、すぐにオーストラリアに戻るが、また南アフリカ戻ってタウィールと再戦すると言明した。この試合レフェリー務めた1924年パリ五輪バンタム級金メダリストウィリー・スミスは、タウィールは減量自滅したのだと話した。タウィールは減量厳しかった報じられていたが、タウィールの兄弟でマッチメイカー・プロモーターのモーリス試合後にこれを否定している。また、試合1度、タウィールの複視のために延期されたが、モーリスが知る限りではその症状ももうなくなったとのことだった。しかしタウィールは入場時顔色悪く、その顔は引きつっており、試合後は控え室テーブル横たわって手当を受けながら「最初パンチもらってからは何も覚えていない」と話した。 カラザースが世界王者となって数分のうちに、スペインルイス・ロメロ前年にタウィールに挑戦して敗北)のプロモーターは、マドリードロメロ相手防衛戦をするなら6,250ポンド(5,000スターリング・ポンド)と別途費用を払うと公言している。

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