ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 01:47 UTC 版)
「ボパール化学工場事故」の記事における「ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟」の解説
1989年に示談による和解が得られ、ユニオンカーバイドはボパールの事故によって生じた被害に対し、4億7000万米ドルを支払うことに同意した(当初の訴訟では30億ドルが請求されていた)。この和解が報じられると、ユニオンカーバイド社の株価は、1株あたり2ドル(株価の7%)下がった。 ボパール事故で支払われた賠償金は、石綿症の被害者(ユニオンカーバイド社は1963年から1985年にかけて石綿の採掘を行っていた)に対してアメリカ合衆国の法廷が同社を含む被告に支払いを命じた額と同額であり、1984年に出した死傷者に対する同社の債務額は100億ドルを超えた。2003年10月の終わりに、ボパールガス事故被災者救援復興局(Bhopal Gas Tragedy Relief and Rehabilitation Department)によって55万4,895人の被害者と1万5,310人の遺族に対して賠償金が支払われた。遺族一家についての平均額は2200ドルであった。 ユニオンカーバイドの最高経営責任者であったウォーレン・アンダーソン(1986年に辞任)は、法廷での審理に出席しなかったため、ボパール最高裁判長によって1992年2月1日に逃亡犯として宣告された。犯罪人引渡し条約を締結しているアメリカ合衆国に対し、インド政府は引き渡しを求める通知を送ったが、この要求が受理されることはなかった。多くの活動家が、インド政府は自由化のあとにインド経済で重要な役割を担っている外国人投資者からの報復を恐れ、アメリカに対して激しい要求を行うことをためらっている、と非難した。 事件解決の失敗について、無関心を装うアメリカ合衆国連邦政府の態度は、過去においても特にグリーンピースから強い非難を浴びている。犯人が逃亡したため、インド中央投資局による本事件における過失を理由とする請求額引き下げの嘆願は、インド法廷によって却下された。アンダーソンは現在でも逃亡者としてインド法廷に手配されており、仮に判決が10年以下の禁錮であったとしても、賠償金を支払う義務を負っている。 一方、ユニオンカーバイドとの和解によって、政府が受け取った賠償金のうち、一部しか遺族には渡らなかった。地元の人々は、同社と責任者のアンダーソンのみならずインド政府にも裏切られたと感じている。本事件の記念日にはアンダーソンと政治家たちの肖像が焼かれる。2004年4月、インド最高裁判所は政府に対し、賠償金として受け取った残り3億3,000万ドルを被害者と遺族に支払うよう命じた。 ユニオンカーバイドはボパール工場を運営していたインド支社を、1994年にインドのバッテリー工場に売却した。2001年にはダウ・ケミカル社が103億ドルの負債を抱えたユニオンカーバイド社を買収した。ダウ・ケミカル社は、ユニオンカーバイド社の和解による支払いは既に履行されており自社に責任はない、と何度か公式に発表した。しかしながら、遺族によって、ダウ・ケミカル社に対し重度に汚染された土地を清浄化させるための訴訟がアメリカの地方裁判所で行われている。 ダウ・ケミカル社とその子会社となったユニオンカーバイド・アメリカ社がインド法廷の判決に従うことを拒否したため、賠償金の支払い要求先は、現在はユニオンカーバイド・インド社のもと従業員、すなわち元社長・現マヒンドラ ケーシャブ・マヘーンドラ、現社長付き経営取締役 ヴィジャイ・ゴーカレー、元社長兼職務主幹 キショール・カームダール、元工場長 J・ムクンド、元AP部門製造部長 S・P・チョウドリーに移っている。
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