モモの「結婚」と出産、その後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 09:46 UTC 版)
「モモ (カバ)」の記事における「モモの「結婚」と出産、その後」の解説
モモとノンノンの生活が安定したのち、飼育担当者たちはミーティングを行った。その議題は、モモの「結婚」であった。モモは6歳となり、結婚の相手を探す時期にさしかかっていた。 モモにふさわしい相手を探し始めたところ、埼玉県南埼玉郡宮代町にある東武動物公園園長の西山登志雄から「うちのカバをあげるよ」と連絡があった。西山は伊藤からの年賀状を読み、連絡をとったという。そのカバは名を「ムー」といい、当時2歳であった。2頭の結婚話は順調に進み、話が出て2か月後の2000年3月21日に結婚が決まった。 伊藤は道中での不測の事態を避けるために、ムーに付き添って東武動物公園から長崎バイオパークまで約1500キロメートルにおよぶトラックでの長い旅をした。3月14日にパークに到着したムーは、モモと柵を隔ててのお見合いを7日にわたって続けた。 モモとムーの「結婚式」は、大安吉日にあたる2000年3月21日に挙行された。式場はカバ池に設けられ、パークの関係者や飼育担当者の他にも幼稚園児や保育園児を始めとする近隣の人々や報道関係者が参列した。新郎新婦の両家代表は、長崎バイオパーク園長の小竹隆と東武動物公園園長の西山がそれぞれ務めている。 モモとムーは結婚式当日に初めて一緒の柵入りを果たした。2頭の関係は良好なもので、気の早い人は「赤ちゃん誕生はいつか?」と質問するほどであった。しかし、伊藤には気がかりなことがあった。それは人工哺育で育ったモモがはたして立派な母親になれるのかという懸念であった。 伊藤がモモの体の変化に気づいたのは、翌2001年1月のことであった。伊藤が「モモのおなかに赤ちゃんがいるかも!」と言っても、他の飼育担当者から笑われる日々が続いた。伊藤もだんだんと自信を喪失し、自分の思い過ごしと考えるまでに至った。しかし、4月22日の昼前に飼育担当者の1人から「モモが子供を生みそうです」と連絡があった。 その連絡を受けた伊藤は喜び勇んでカバ池に向かったが、次第に喜びより不安の方が大きくなっていた。カバ池のモモは出産前で、いかにも苦しげであった。伊藤を始めとした飼育担当者たち、そして多くの来園者が見守る中、5時間以上の苦しみを経てモモは水中で仔カバを出産した。伊藤が驚いたのは、モモが生まれたての仔カバに対して普通の母カバと同じように水中で授乳していたことであった。その姿に伊藤は1人で心配していたことが恥ずかしくなり、「モモはりっぱなカバになれたんだ」と喜んだ。 仔カバはオスで「ももたろう」と命名され、パークの人気者となった。モモ、ムー、そしてももたろうは3頭で仲良く「川の字」になっての寝姿を見せていた。ももたろうは1歳の誕生日を迎える前の2002年4月に中華人民共和国の西霞口野生動物園に旅立っていった。この旅だちには、モモのファンから抗議の電話がたくさんあった。オスの仔カバは父カバから縄張り争いのために攻撃を受けて命を落とす例があるため、この旅だちにはももたろうの命を守るという意味合いも含まれていた 。 モモの次の子はメスで、2003年7月26日に誕生した。その子は「ゆめ」と名づけられ、4歳になる2007年6月26日に静岡県にある富士サファリパークに旅立っている。 2009年4月1日には第3子となるオスの「龍馬」が誕生した。龍馬は2010年3月17日に鹿児島県の平川動物公園に旅立った。2011年5月28日には第4子のオス「百吉(ももきち)」が誕生した。 モモとムーは順調な繁殖を続けていたが、2012年2月6日に夫のムーが腹膜炎を起こして急死した。また、2013年7月2日には百吉が旭山動物園に旅立った。同年11月7日、神戸の王子動物園から新しい夫「出目太」が来園して、18歳差の夫婦となった。出目太との間には、2016年10月に第5子のオス「テト」が誕生した。 長崎バイオパークのカバは、日本有数のカバの大家族として来園者や地元の人々に愛され、親しまれている。伊藤は「これが大都市の動物園だったら、モモの命は救えなかったかもしれない。地域に愛され、カバにとっては最高の場所」と感謝の思いを述べた。
※この「モモの「結婚」と出産、その後」の解説は、「モモ (カバ)」の解説の一部です。
「モモの「結婚」と出産、その後」を含む「モモ (カバ)」の記事については、「モモ (カバ)」の概要を参照ください。
- モモの「結婚」と出産、その後のページへのリンク