モニ53形
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/04 00:38 UTC 版)
モニ53形は、1937年に鷹取工場で製作された荷物電動車で、前年3月に宮原電車区内で焼失した木製のモニ13020を、鋼製車体により復旧したものである。そのため、東京地区の3形式とは性格を異にする存在であり、太平洋戦争前には、この1両(53001)が製作されたのみである。この車両は、東京地区の同系車と異なり、前面は非貫通で両運転台式、側面には3か所に両開き式の荷物用扉が設けられた。その幅は、中央のものが1800mm、両端のものが1200mmである。扉間には幅600mmの窓が設けられ、窓配置はd1D3D3D1dである。 モニ53形の増備が行なわれたのは、戦後の1948年および1950年のことで、モハ34形およびモハ33形(旧モハ34形)の改造によってである。これらについては、本系列に属するものではないため、詳細は別項に譲るが、これらに引き続く1952年から翌年にかけ、老朽木造荷物車を一掃するために、これらを種車として鋼体化した増備車が製作された。これこそが、本来の50系の系譜を引く鋼体化改造車といえるものである。これらは、合計18両が製作され、1952年度前期落成車はモニ53形(53020 - 53023)として、1952年後期以降の落成車は、1953年6月の改番を先取りする形で新形式モニ13形(13024 - 13037)として就役した。 製造の状況は次のとおりである。 1952年度前期大井工場(2両) - 53020, 53021 → 13020, 13021 吹田工場(2両) - 53022, 53023 → 13022, 13023 1952年度後期日本車輌製造(9両) - 13024 - 13032 1953年度日車支店(5両) - 13033 - 13037 このグループは、車体の形状が戦前製作車と全く異なり、妻面は非貫通であるがモハ63形に類似した切妻で、荷物用扉間の窓も幅700mmで数が少なくなっている。荷物用扉の寸法等は戦前形と同一である(窓配置は、d1D2D2D1d)。屋根上の通風器は、グローブ形が4個(53020, 53021のみ)または5個(残りの全車)である。また、1952年度前期製造の4両は、前面幕板に運行番号表示器を装備しない。 鋼体化前後の新旧番号対照は次のとおりである 13020 → 53001 13015 → 53020 10174 → 53021 13027 → 53022 13006 → 53023 10166 → 13024 10176 → 13025 10102 → 13026 10153 → 13027 10173 → 13028 13011 → 13029 13013 → 13030 13014 → 13031 14001 → 13032 3416(13019) → 13033 3417(13021) → 13034 3420(12001) → 13035 3421(12006) → 13036 3400(12003) → 13037 これらは東京地区、大阪地区の他、飯田線や福塩線、宇部線といった地方線区にも配置されている。福塩線用に製作された13031, 13032は当時の電化方式(直流600V)にあわせてモーターを2個のみ装備し、13031は併結の関係で一方の運転台機器を装備していなかった。また、飯田線用の13023 - 13026と宇部線用の13035 - 13037は、線区の特質上、標準の密着連結器でなく自動連結器を装備して落成し、飯田線用は電気機関車代用として貨車を牽引することもあった。
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