メスによる卵塊破壊行動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 19:58 UTC 版)
タガメは雌雄ともひと夏に数回繁殖行動を行うが、卵の孵化期間と同じくメスが一度産卵してから次の産卵が可能になるまでの期間も水温が高いほど短くなる。どの温度帯でもメスが次に産卵可能になるまでの期間は卵の孵化期間・およびオスが交尾後から次に交尾可能になるまでの期間より短いため、産卵可能になったメスはオスと出会ったときに交尾・産卵しなければ子孫を残せる保証はなく、昼間の時間が一定時間より短くなると卵の生産が抑制され繁殖期を過ぎてしまう。 その上、タガメは水田の生態系の頂点に位置することから個体群密度が低く、雌雄性比は1:1であるため、産卵準備のできたメスがオスとの交尾を求めてもオスは卵を保育している最中となり、オスが不足する事態となる。卵の保護を行っていないオスと巡り会える可能性は高くないため、いつまでもそのようなオスを探し続けていると限られた繁殖期間を無駄に過ごし、産卵できる回数が減少する。そのため、メスは限られた期間中に自身の子孫を確実に残す目的で繁殖目的のオスを手に入れる必要があることに加え、仮にオスが先に保育している卵が先に幼虫へ孵化した場合、「自分が産卵した卵が孵化した際、その幼虫たちが先に孵化した(オスが保育している卵から孵化した)幼虫たちにより捕食される」リスクを抱えることとなる。 それらのリスクに対処し、自身の子孫を残すためメスはオスが保育している卵塊を破壊する「子殺し行動」を取る。タガメ以外にも「子殺し行動」はライオン・ハヌマンラングールなど他の動物でも見られるが、昆虫類ではタガメ類以外に例がない。タガメ・ライオン・ハヌマンラングールのいずれもその行動理由は「種の繁栄・保存のため」ではなく「自分自身の子孫数を最大にするため」である。 体内の卵が成熟したメスは日没後にオスを探して泳ぎ回り、卵の世話をしていないオスと遭遇できればそのオスと交尾できるが、保育中のオスはメスが接近すると前脚を振り上げてメスを追い払おうとする。しかしタガメは通常メスの方がオスより大きいため、前脚を使った争いではオスを圧倒して追い払うと卵塊のある場所まで登り、それまでオスが守っていた卵塊を前脚で破壊する。オスは卵を守ろうと懸命に抵抗するが、通常はメスより小柄であるためほとんどは失敗に終わり水中へ降ろされてしまい、その間に卵塊を破壊される。メスは左右の前足を交互に動かし、爪で引っ掛けることで卵を剥ぎ取るが、イネなどに産み付けられた卵は棒などに産み付けられた卵より剥がれにくいため、剥がしとれない卵は1つずつ口吻で吸汁して殺していく。メスが卵塊を破壊し続けている間、オスはそのメスと交尾する場合もあるが、これは卵を破壊されたオスにとっても繁殖できる期間は限られているため、その間に自分の子孫を最も確実に残す方法は「自分が守っていた卵塊を破壊したメスと交尾すること」であるためである。卵数が10個以下になるとオスは保護行動を断念してその場でそのメスと交尾し、メスも破壊活動を中止して自分の卵を産み付け、オスに保護させる。 子殺し行動はタイワンタガメでも確認されているほか、ナンベイオオタガメ Lethocerus grandis でも破壊された卵塊と同じ草に新たな卵塊が産み付けられていた事例が報告されているが、すべてのタガメ類が卵塊破壊を行うわけではなく、アメリカ合衆国産のタガメの一種 Lethocerus medius の場合は「1頭目のメスが産卵した卵を保護しているオスがその最中に別のメスへ求愛行動を行い、そのメスは既存の卵塊を破壊せずその直近に自らの卵塊を産み付け、オスがそれら2個の卵塊を同時に並行して保護する行動」(=2卵塊並行保護)が観察されている。この「子殺し行動」とは正反対の「2卵塊並行保護」行動はアメリカタガメ Lethocerus americanus でも観察されたほか、日本でも市川憲平が1997年に鹿児島県内の池で「2卵塊並行保護」と思しき卵塊を観察している。市川はその後、休耕田を活用して造成したタガメ保全用ビオトープで1999年6月に2個の卵塊を並行して同時に保護しているタガメのオス成虫を観察した。しかしこの時は2個の卵塊の位置が上下で離れており、オスは下の卵塊に水を与えただけで水中に降りることが多く、上にあった卵塊は下にあった卵塊(56卵すべて孵化・孵化率100%)と異なり80卵中47卵(孵化率58.75%)しか孵化しなかった。 都築 (2003) はこの「2卵塊並行保護」行動に関して「自身による飼育下でも1つの杭に2つ卵塊があったことがあったが、この時は先の卵塊が一部破壊されていた。このことから実際にはオスは2卵塊を同時に保護しているわけではなく、(メスに破壊された先の卵塊を放棄して)後から産卵された卵塊のみを保護しているのだろう。先に生まれた卵塊が後から生まれた卵塊より下にある場合は(先の卵塊より上にある)後の卵塊に給水された水が先の卵塊にも流れ落ちるため、結果的に2卵塊とも保護されることになり先の卵塊もかなり高確率で孵化するが、位置が逆の場合は(オスは下にある後の卵塊のみに給水するため、その上にある)先の卵塊には水分が補給されないため孵化に至らない」という見解を示している。また市川憲平(姫路獨協大学非常勤講師・元姫路市立水族館館長。止水性水生昆虫の保全生態学)は内山 (2007) にて「日本産のタガメ以外に外国産の種でも卵塊破壊行動・2卵塊並行保護行動の両方が確認できる上、日本産以外のタガメの行動は不明点が多いため、どちらが多数派なのかはわからないが、どの種でも条件によって異なる行動を取るのかもしれない」と考察している。 このほか、コオイムシのように卵塊を背負ったタガメが出現する場合があるが、これに関して都築 (2003) は「そのオスタガメを発見した後で水深の浅い容器へ移したが、卵塊はミズカビが生えてしまい孵化しなかった」と述べ、その理由に関して「(このオスタガメが卵塊の父親かどうかは不明だが)交尾したオスが杭の上で動かなかったため、そのままメスにより背中に卵塊を産み付けられた」もしくは「夜間に杭上で甲羅干しをしていた別個体が誤ってメスに産卵された」という可能性を示唆している。市川(2018)も大型水槽で4,5頭のタガメを飼育していた際に同じように卵を背負ったメス個体を観察しており「このメス個体が産卵用の棒上で甲羅干しをしていた際に別の雌雄が背中の上で何回も交尾して卵塊を産み付けたのだろうが、なぜ自分の背中の上で交尾していることに気付かなかったのかわからない。不可解な事例だ」と述べている。
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