メジロ牧場とメジロライアン
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「メジロブライト」の記事における「メジロ牧場とメジロライアン」の解説
メジロ牧場は、1967年に北野豊吉が開いたサラブレッド生産牧場である。豊吉は牧場黎明期の日本が円安の頃に、外国のサラブレッドへの大量投資を敢行していた。世界の良血を日本に導入しては、牧場で内国産馬を産み出し続けていた。大量投資をした際に導入したシェリルの牝系からは、メジロライアン、メジロマックイーンが誕生している。この2頭にメジロパーマーを加えた3頭で、1991年から1993年の宝塚記念を3連覇を果たしていた。豊吉の理念から、自家生産の内国産馬にこだわり、独立採算制のもと「世界でもまれな」(吉沢譲治)黒字経営のオーナーブリーダーだったが、その宝塚記念3連覇以降、重賞優勝馬が現れず、不振に陥っていた。その間にメジロ牧場以外の輸入種牡馬である、サンデーサイレンスやトニービン、ブライアンズタイムなどの仔の活躍が顕著になり、また外国産馬に門戸が開かれつつある状況だった。 メジロ牧場に入ったレールデュタンは、1987年から繁殖牝馬となった。初年度はメジロティターン、2年目はマッチレススピード、3年目はモガミ、4年目は休み、5年目はパドスール、6年目はノーリユートと交配していた。このうち3年目のモガミの仔、メジロモネは、ウインターステークスで2着と3着。後に、武蔵野ステークスで2着。メジロ牧場は、中央競馬である程度出世した馬の地方競馬転出は認めていなかったが、特例で高崎競馬に移籍。高崎大賞典で3年連続3着以内を記録するなどの活躍を見せていた。しかし、その他の仔は、骨折や脚部不安でおしなべて不出走だった。そして7年目となる1993年、メジロ牧場生産馬のメジロライアンと交配する。 メジロライアンは、1991年の宝塚記念優勝馬である。父は1977年に北海道早来町の社台ファーム早来で生産されたアンバーシャダイであり、父内国産馬だった。引退後は種牡馬となるが「内国産二代目は成功しない」というジンクスにより、生産者からの人気がなかった。バブル崩壊も重なり、何とか結成したシンジケートも価格は安かった。また吉沢譲治によれば、参加する牧場も、有名牧場は「お付き合い程度」の立場、他も「地味」な面々だったという。ゆえに良血の繁殖牝馬との交配は実現していなかった。それでも供用初年度となる1993年は、63頭の繁殖牝馬を集める。メジロ牧場も自らの繁殖牝馬5頭をメジロライアンを割り当てており、レールデュタンはその中の1頭だった。 出産予定日より6日遅れた1994年4月19日、北海道伊達市のメジロ牧場にて、レールデュタンの6番仔である鹿毛の牡馬(後のメジロブライト)が生産される。メジロ牧場の繁殖牝馬のうち、メジロライアンを受胎したのは5頭であったが、うち2頭は受胎した後、出産を待たずに死亡している。残る3頭は、この6番仔と、後にメジロブルテリア、メジロドーベルと命名される2頭の牝馬だった。内国産馬メジロライアンの仔のため、父内国産馬「マル父」に分類される。
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