メジロ牧場とメジロライアンとは? わかりやすく解説

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メジロ牧場とメジロライアン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 03:52 UTC 版)

メジロブライト」の記事における「メジロ牧場とメジロライアン」の解説

メジロ牧場は、1967年北野豊吉開いたサラブレッド生産牧場である。豊吉は牧場黎明期日本円安の頃に、外国サラブレッドへの大量投資敢行していた。世界の良血を日本導入しては、牧場内国産馬産み出し続けていた。大量投資をした際に導入したシェリル牝系からは、メジロライアンメジロマックイーン誕生している。この2頭にメジロパーマー加えた3頭で、1991年から1993年宝塚記念3連覇果たしていた。豊吉の理念から、自家生産内国産馬こだわり独立採算制のもと「世界でもまれな」(吉沢譲治黒字経営オーナーブリーダーだったが、その宝塚記念3連覇以降重賞優勝馬現れず、不振に陥っていた。その間メジロ牧場以外の輸入種牡馬である、サンデーサイレンストニービンブライアンズタイムなどの仔の活躍顕著になり、また外国産馬門戸開かれつつある状況だった。 メジロ牧場入ったレールデュタンは、1987年から繁殖牝馬となった初年度メジロティターン2年目はマッチレススピード、3年目モガミ4年目休み5年目はパドスール、6年目はノーリユートと交配していた。このうち3年目モガミの仔、メジロモネは、ウインターステークスで2着と3着。後に、武蔵野ステークスで2着。メジロ牧場は、中央競馬ある程度出世した馬の地方競馬転出認めていなかったが、特例高崎競馬移籍高崎大賞典で3年連続3着以内記録するなどの活躍見せていた。しかし、その他の仔は、骨折脚部不安おしなべて不出走だった。そして7年目となる1993年メジロ牧場生産馬メジロライアン交配するメジロライアンは、1991年宝塚記念優勝馬である。父は1977年北海道早来町社台ファーム早来生産されアンバーシャダイであり、父内国産馬だった。引退後種牡馬となるが「内国二代目成功しない」というジンクスにより、生産者からの人気がなかった。バブル崩壊重なり、何とか結成したシンジケート価格安かった。また吉沢譲治によれば参加する牧場も、有名牧場は「お付き合い程度」の立場、他も「地味」な面々だったという。ゆえに良血の繁殖牝馬との交配実現していなかった。それでも供用初年度となる1993年は、63頭の繁殖牝馬集める。メジロ牧場も自らの繁殖牝馬5頭をメジロライアン割り当てており、レールデュタンはその中の1頭だった。 出産予定日より6日遅れた1994年4月19日北海道伊達市メジロ牧場にて、レールデュタンの6番仔である鹿毛の牡馬(後のメジロブライト)が生産されるメジロ牧場繁殖牝馬のうち、メジロライアン受胎したのは5頭であったが、うち2頭は受胎した後、出産待たず死亡している。残る3頭は、この6番仔と、後にメジロブルテリア、メジロドーベル命名される2頭の牝馬だった。内国産馬メジロライアンの仔のため、父内国産馬マル父」に分類される

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「メジロ牧場とメジロライアン」を含む「メジロブライト」の記事については、「メジロブライト」の概要を参照ください。

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