メジロマックイーンの天皇賞(春)三連覇を阻止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 05:18 UTC 版)
「ライスシャワー」の記事における「メジロマックイーンの天皇賞(春)三連覇を阻止」の解説
古馬となった翌1993年は天皇賞(春)を目標に据え、目黒記念より始動。負担重量は59kgと過去最高であったが、的場は天皇賞制覇のために「自力で勝負できる"格"」が必要であると考え、相手を菊花賞3着馬のマチカネタンホイザに定め、これを自力で追走し差し切る競馬を試みた。結果は2馬身半離されての2着であったが、調整途上でもあり陣営には納得のいく内容であった。続く日経賞では初めて1番人気の支持を受け、これに応えての勝利を挙げた。 次走はかねて目標としていた天皇賞(春)となり、同競走を2連覇していたメジロマックイーンを意識して徹底的に追い込む調教が行われた。しかし、あまりの厳しさから「馬を虐め過ぎではないか」との批判が上がり、「メジロマックイーンに勝つ前に馬が潰れる」と揶揄されたほどの過酷な内容であった。しかしこの調教が功を奏し、天皇賞当日は前走から12kg減・東京優駿以来となる430kgと、限界まで絞り込んだ馬体での出走となった。このときのライスシャワーについて的場は「なにか猛獣というか、すごい生命体というか、そばに近づいたときから、火でも吹かれるんじゃないかって、そんな恐ろしいような雰囲気がありましたが、乗ったらもう、馬じゃない別の生き物でしたよ。これで下手に怒らせたら、指や足を食いちぎられるんじゃないかと思ったぐらい」、「馬の気力が充実していたんで、多少過酷なことをしても大丈夫だと思った。マックイーンを負かすには、精神的にも肉体的にも研ぎ澄まさなければならない。今なら、それに耐えてくれるだろうって」と述べ、また飯塚は「当日馬を見たとき、これは凄い、と思ったよ。走るという気力というか、迫力というか。見た目にはそれまでと特別変わっていないんだが、内から溢れ出るものがすごいんだ。このとき初めて、今日は勝つ、と確信したよ」と述べている。またフジテレビ系列放送で実況を担当した杉本清は「この時のライスの身体は、まさに研ぎ澄まされた鋼のようでした」と述べている。 当日はメジロマックイーンに次ぐ2番人気に支持された。レースは前年の有馬記念を制したメジロパーマーが逃げ、メジロマックイーンはこれを見る一団の中に位置、さらにライスシャワーがその直後につけた。周回2周目の最終コーナーでは完全にこの3頭が抜け出したが、直線半ばでメジロマックイーンをライスシャワーが捉えると、ゴールでは2馬身半の差を付けて優勝。同馬の天皇賞(春)三連覇および鞍上・武豊の五連覇を阻止した。走破タイム3分17秒1は菊花賞に続き再びのレコードタイムであった。ゴールの直後、杉本清は「関東の刺客、ライスシャワー。天皇賞でも圧倒的な人気のメジロマックイーンを破りました」と実況。この競走以降、ライスシャワーには「刺客」「レコードブレイカー」という異名も冠された。 しかし、競走後に行われた勝利騎手インタビューにおいて、インタビューが的場に対して質問したのは「勝利の感想」ではなく「マックイーンの三連覇を阻止した感想」であった。的場はライスシャワーを悪役・敵役とする見方に不快感を抱いていたといい、自著の中で次のように述べている。 確かに僕らはミホノブルボンの三冠を阻止し、メジロマックイーンの天皇賞三連覇を阻んだ。アイドルホースたちが歴史的偉業を達成する瞬間を邪魔してばかり、そんな印象なのだろうか。しかし、競走馬と勝負師が勝ちにいっているのだ。そこには悪役も何も、ないはずである。(中略)メジロマックイーンのときもそうだった。《関東の刺客》とか《マーク屋》とか言われるのは、決して気持ちのいいものではない。「こっちの気も知らないで……」と僕などは思ってしまう。僕らは勝つために、最大限の努力をしている。その努力には、さまざまな思いや戦略が、たとえひとつでも違っていたら勝利を勝ち取ることなどできないほどの緊密さ、複雑さで絡み合っている。そのあたりをこそ見てほしいのだ。それこそが勝負の面白さ、レースの面白さでもあると僕は思う。アイドルだとか悪役だとか、馬たちを擬人化しては、ドラマ仕立てで眺めるのも競馬のひとつの楽しみ方なのかも知れないが、そうした見方では決して感じ取れない、ずっと奥の深い、面白い世界が、そこには広がっているはずである。
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