メジロライアンと横山典弘とは? わかりやすく解説

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メジロライアンと横山典弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 06:29 UTC 版)

メジロライアン」の記事における「メジロライアンと横山典弘」の解説

主戦騎手務めた横山典弘は、当時デビュー4年目若手騎手であり、その心技成長メジロライアン大きく関わった。当時横山はその騎乗技術高く評価されていた一方素行悪く問題児としても知られていた。そうした中で素質馬のメジロライアン任され、自ら「ライアンが一番強い」と発言続けながら、時に騎乗ミスもあり敗戦重ねたことが、自身見つめ直すきっかけとなった。後にメジロライアン引退式挨拶立った横山は「ライアンの仔に乗ってGI勝ちたい」と語りながら、衆目の中で涙を流した横山はこの理由について、「ひどく寂しかった」と述べている。ライター須田鷹雄はこの出来事評して横山の涙の性質には「自分育ててくれた馬に対する涙」と「馬に十分なことをしてやれなかったという悔い含んだ涙」の二つがあるとし、特に後者注目して「つまり、活躍していた頃のライアンですら、さらなる可能性残していたということだ。しかもそれは、『横山典が泣くほどのこと』なのだ。ひょっとするとメジロライアンは、史上有数未完の大器なのかもしれない」と述べている。横山は『名馬列伝メジロライアン』の発刊に際して行われたインタビューにおいて、ライアンが一番強いという思い変わらないかとの質問に「ええ、全然変わりません」と述べた横山メジロライアン引退後もその能力について「俺がもっとうまく乗って上げられればライアンはもっと勝っていた。ライアン実力はあんなもんではない」と長年語っていたが、後に「前はそんな風に思っていたけど、今、冷静に考えるとアイネスフウジンも強い馬です。それなりのラップ逃げて最後までばてなかったのだから、凄い馬だったんです」と語っている。2001年受けたインタビューにおいてはメジロライアン自身与えた影響について次のように述べている。 「今日の僕があるのはライアンがいたからです。僕のこと成長させてくれた、いいパートナーでした。クラシックを勝てなかったのは、僕が未熟だったからライアンが勝たせなかった。レースそんなに甘いもんじゃないよ、と厳しさ教えてくれました。もし僕が簡単に三冠取ったりしていたら、もう成長止まったどうしようもない騎手終わっていたでしょう伯父さん(奥平師)や小島浩三さんや、北野おばあちゃんや、多くの人に支えられ勝てた。一人頑張っても、だめだということがよくわかった。それをわからせてくれたのもライアンなんです

※この「メジロライアンと横山典弘」の解説は、「メジロライアン」の解説の一部です。
「メジロライアンと横山典弘」を含む「メジロライアン」の記事については、「メジロライアン」の概要を参照ください。

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