マフムード弑逆事件とブギス人とは? わかりやすく解説

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マフムード弑逆事件とブギス人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 15:02 UTC 版)

ジョホール王国」の記事における「マフムード弑逆事件とブギス人」の解説

1699年ジョホール王国スルタン不安定な気質持ち主といわれたマフムード・シャー2世マレー語版)が、相続人不在のままブンダハラ(宰相)によって殺害されマラッカ王家王統絶えたマフムードとは従兄弟の関係にもあったブンダハラは、アブドゥル・ジャリル4世マレー語版)と称してクーデター起こし、みずからスルタン宣言した。この事件対しそれまで王家忠誠誓っていた海上民たちは動揺しジョホールから離反し始めた。新スルタンのアブドゥル・ジャリルは、この海上民の動揺収めるため、王都を自勢力拠点であるリアウ諸島移した。これにより、アブドゥル・ジャリルは海上民たちを帰順させることにようやく成功した。 しかし、1717年マフムード遺児であることを主張したラジャ・クチルがスマトラ島シアク(現インドネシア・リアウ州)に現れた。ラジャ・クチルはこのとき、新スルタン対し、みずからミナンカバウのバガルユン王家支持得ていることを強調している。ラジャ・クチルはアブドゥル・ジャリルを攻撃し、彼をスルタン位から降ろし1718年ジョホールの王を名乗った。アブドゥル・ジャリルは、ラジャ・クチルのもとを逃れマレー半島東岸のトルンガヌに移動し現在のパハン州クランタン州地元首長らの支持得て宮廷構えたが、ラジャ・クチルの放った刺客により、1721年パハン殺害された。 これに対し南スラウェシ出身ブギス人は、旧ブンダハラ家を支えた。アブドゥル・ジャリルの子息ラジャ・スライマン(スライマン・バドラル・アラム・シャー(マレー語版))はブギス人に対し同盟参戦要請しブギス人びとはそれに応えたのである。ラジャ・クチルはブギス人の猛攻のため、リアウ諸島からシアク後退せざるを得なくなった傭兵として高い戦闘能力をもち、航海技術すぐれたブギス人に対し、ラジャ・クチル側を支援したミナンカバウ人びと内陸河川での戦闘を得意としており、海戦は得意ではなかった。なお、リアウ撤退後にラジャ・クチルによって建国されシアク王国英語版)は、ミナンカバウ胡椒ガンビールコーヒー、米、金、籐や蜜蝋など、主として山林依拠する物品輸出する港市として19世紀中葉まで栄えた。 こうしてブギス人はラジャ・クチルをリアウから追放し、ラジャ・スライマンをジョホール王国新しスルタンとしてむかえた。ラジャ・スライマンは、1722年から1760年までスルタンとして君臨し本拠リアウ諸島の主島ビンタン島置いたそれゆえ、これ以後ジョホール王国はしばしば「ジョホール・リアウ王国」の名で呼ばれる王都は、ビンナン島のタンジュン・ピナン置かれた。このころから、ジョホール王国はしだいスマトラ各地対す支配権を失うようになっていった。それにともないマレー半島各地領主は錫の採掘輸出基盤としてしだいに勢力有するようになった17世紀の末頃から海産物干物中国向け商品重要になり、中国人商人がリアウ・リンガ諸島ブルネイ王国(現ブルネイ)、スールー諸島(現フィリピン)のホロ島中心とするスールー王国などに赴き、大々的集荷するようになったため、東南アジア群島部では海洋資源の開発始まった。しかし、海上民の漁労のみでは中国人商人需要満たすことができなかったため、各地権力者商人海上自身含め必要な労働力調達するための奴隷狩りをおこなうようになり、これは金品略奪ともなったため、海賊活動さかんになった。 マレー半島南端沖に所在しマラッカ海峡の南の入口にあたるリアウ諸島抑えたジョホール・リアウ王国では、海上のみならずブギス人が、海運商業従事者として、また軍事力として重要な役割になったブギス人の首領ダエン・マレワ(マレー語版)は、スライマンを援助した見返り副王(ヤン・ディプルトゥアン・ムダ)の地位獲得し代々ダエン・マレワの5兄弟の子孫が世襲することとなった。さらに、ブギス人は王国内においてマレー人同等の地位保障されリアウ港での停泊税や交易関税免除された。リアウは、海産物のほか、スマトラ島マレー半島胡椒や錫、さらにビンタン島ではガンビールガンビールノキ)の栽培をおこなって、これらを輸出したまた、王国実質的に支えていたブギス人は前代からマレー文化の影響強く受けて熱心なムスリムとなっており、リアウ東南アジアにおけるイスラームセンター1つとして繁栄した

※この「マフムード弑逆事件とブギス人」の解説は、「ジョホール王国」の解説の一部です。
「マフムード弑逆事件とブギス人」を含む「ジョホール王国」の記事については、「ジョホール王国」の概要を参照ください。

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