マフムード・カーシュガリーの世界地図とは? わかりやすく解説

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マフムード・カーシュガリーの世界地図 (1072年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 02:40 UTC 版)

初期の世界地図」の記事における「マフムード・カーシュガリーの世界地図 (1072年)」の解説

カラハン朝学者一説には王族マフムード・カーシュガリー11世紀史上初のテュルク諸語アラビア語辞書テュルク語集成』(Dīwān Lüḡāt al-Türk)の中に世界地図収録した。この図は東が上になっており、水域青く塗られている。小さな丸印都市である。最中央がカラハン朝首都ベラサグン北部瓢箪型の水域カスピ海、最東部水域囲まれている部分は「ジャーバルカー?( جابرقا Jābarqā?)」と書かれており、「日本国」の(やや不正確な音写ではないかと言われている。その他にイラクアゼルバイジャンイエメンエジプト中国ヒンドゥスタンカシミールゴグマゴグ(「ヤージュージュとマージュージュ」 右側の赤い半円)などが書かれている。図中の青線河川赤線山脈意味している。世界周囲は海(いわゆるオケアノス海)に覆われている。この地図は現在イスタンブールペラ美術館英語版)にある。カーシュガリーの地図先行するアラビア語地理書での世界地図としては、イブン・ハウカルやイスタフリーの地理書描かれている世界地図知られている。これらの地図プトレマイオス地理書地図に、イラン中央アジアなどの知見をもとに増補されたものだが、カーシュガリーの世界地図ベラサグン周辺地域中心に描かれており、同書書写されたと思われるバグダードイラク中東アラビア半島などの諸地域はイブン・ハウカルなどに比べるとかなり模式化されている。後述イドリースィーの世界地図も、基本的にイブン・ハウカルやイスタフリーの地図地理概念延長線上にある

※この「マフムード・カーシュガリーの世界地図 (1072年)」の解説は、「初期の世界地図」の解説の一部です。
「マフムード・カーシュガリーの世界地図 (1072年)」を含む「初期の世界地図」の記事については、「初期の世界地図」の概要を参照ください。

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