イドリースィーの世界地図とは? わかりやすく解説

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イドリースィーの世界地図 (1154年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/04 02:40 UTC 版)

初期の世界地図」の記事における「イドリースィーの世界地図 (1154年)」の解説

アラビア地理学者イドリースィーは、1138年ノルマンルッジェーロ2世シチリア招かれ1154年当時知見集大成した世界地図タブラ・ロジェリアナ」を作成した。またメッカ中心とした円形世界地図作成された。 14世紀歴史家イブン=ハルドゥーンが、著書歴史序説』の中で、イドリースィー円形世界地図についての解説残している。イドリースィー図は南が上になっており、中心イスラーム聖地メッカである。南が上になっているのは、こうすればイスラーム圏のほとんどの場所よりもメッカ上側配置することができるためと考えられている。イスラーム世界観に基づき全体として各地からメッカへの方角意識して描かれている。この図も周囲を海が取り囲んでいる。また、プトレマイオス図とは異なりインド洋外海であることが正確に描写されている。また、また、東西方向に平行に引かれ曲線気候帯境界意味している。ハルドゥーンは、この曲線帯よりも北あるいは南側には人が住めないと説明している。地図東端アフリカ南部から東に延び陸地先端にはالواق واق(アルワークワーク al-Wāqwāq)と書かれているが、これは倭国ボルネオフィリピンなど様々な説がある。 イドリースィープトレマイオス図参照していると言われている。ただしアラビア人が自ら確認した地理情報優先して作成しており、場所によってプトレマイオス図よりもかえって不正確になっている所もあるが、かなりの独自性伺える。ナイル川上流の湖の位置正確に描かれている。この後3世紀の間、アラビア地図製作者イドリースィー図をほぼそのまま模写した

※この「イドリースィーの世界地図 (1154年)」の解説は、「初期の世界地図」の解説の一部です。
「イドリースィーの世界地図 (1154年)」を含む「初期の世界地図」の記事については、「初期の世界地図」の概要を参照ください。

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