イドリースィーの世界地図 (1154年)
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「初期の世界地図」の記事における「イドリースィーの世界地図 (1154年)」の解説
アラビアの地理学者イドリースィーは、1138年にノルマン王ルッジェーロ2世にシチリアに招かれ、1154年に当時の知見を集大成した世界地図「タブラ・ロジェリアナ」を作成した。またメッカを中心とした円形の世界地図も作成された。 14世紀の歴史家イブン=ハルドゥーンが、著書『歴史序説』の中で、イドリースィーの円形の世界地図についての解説を残している。イドリースィー図は南が上になっており、中心はイスラームの聖地メッカである。南が上になっているのは、こうすればイスラーム圏のほとんどの場所よりもメッカを上側に配置することができるためと考えられている。イスラームの世界観に基づき、全体としても各地からメッカへの方角を意識して描かれている。この図も周囲を海が取り囲んでいる。また、プトレマイオス図とは異なり、インド洋が外海であることが正確に描写されている。また、また、東西方向に平行に引かれた曲線は気候帯の境界を意味している。ハルドゥーンは、この曲線帯よりも北あるいは南側には人が住めないと説明している。地図の東端、アフリカ南部から東に延びる陸地の先端にはالواق واق(アル=ワークワーク al-Wāqwāq)と書かれているが、これは倭国、ボルネオ、フィリピンなど様々な説がある。 イドリースィーはプトレマイオス図を参照していると言われている。ただしアラビア人が自ら確認した地理情報を優先して作成しており、場所によってはプトレマイオス図よりもかえって不正確になっている所もあるが、かなりの独自性が伺える。ナイル川上流の湖の位置も正確に描かれている。この後3世紀の間、アラビアの地図製作者はイドリースィー図をほぼそのまま模写した。
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