ベスト盤をめぐるトラブル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/01 07:45 UTC 版)
「ベスト・アルバム」の記事における「ベスト盤をめぐるトラブル」の解説
アーティストの意向に反し、もしくは本人たちの知らぬ間にレコード会社や音楽プロデューサーの独断でリリースされる事もあり、本人たちはディスコグラフィーに認めないなど、アーティストとレコード会社の軋轢の原因となることもある(例:スピッツ『RECYCLE Greatest Hits of SPITZ』、B'z『Flash Back-B'z Early Special Titles-』、クリープハイプ『クリープハイプ名作選』、M.o.v.e『REWIND〜singles collection+〜』)。 特に、近年アーティストがレコード会社を移籍する際には、それまで所属していたレコード会社が自らが原盤権を持つ音源を利用し、アーティストに半ば無断でベスト・アルバムを制作・発売することが恒例化している。これに反発するアーティスト側が、ホームページやファンクラブなどを通じてファンに当該アルバムの購入を控えるように呼びかけるケースも多く起こっている(例:YMO商法、DREAMS COME TRUE『BEST OF DREAMS COME TRUE』、Utada『Utada The Best』など)。また、こうした事情を嫌って、もしくはアーティスト個人の信念としてベスト・アルバムを出すことを拒否するアーティストもいる。椎名林檎はベスト盤より新曲を出したいという考えから長らくリリースしておらず、2019年に初めて本人監修のベスト・アルバム『ニュートンの林檎 〜初めてのベスト盤〜』をリリースしている。DREAMS COME TRUEは当初ベスト・アルバムを出さない方針であったが、上述のメンバー非公認のベスト・アルバムが世に存在し続けることに対するジレンマから、後年に改めて公認のベスト・アルバムをリリースするに至っている。 同様に、浜崎あゆみも2001年のベスト盤『A BEST』リリースにおいてavexが発売を強行したため、「自分はavexの大切な商品なんだなと思った」と皮肉交りに回想し、嫌気が差して引退も考えたという。その抵抗感を表すべく浜崎自身のアイデアで涙を流すジャケットが採用された。また、本人の希望で本作発売に合わせて、あらゆる雑誌の表紙を徹底的にジャックした。 また倖田來未もベスト盤を2005年・2006年と、2年連続で立て続けにリリース。2006年の2作目ベストの収録曲の半数は、前年12月より実施した12週連続シングルリリースを収録。実質的にはオリジナルアルバムでの扱いとなるのにも関わらず、レコード会社側が強制的に至った。その際に倖田は「自分の知らない間に勝手に発売が決まっていた。本当はこんなものは発売したくなかった。せっかくシングルを買ってくれたファンの皆さんには申し訳ないことをした」と発言している。 上述とは逆のパターンも存在し、X JAPANが1997年の解散時に発表した「PERFECT BEST」においてはアーティスト側が以前に所属していたソニー・レコードからリリースされたX時代の楽曲が原盤権を持たなかった故に使用する事が出来ずライブヴァージョンでの収録となりアーティスト側にとって不本意な形となってしまった。この事をYOSHIKIは「自分の子供を拉致されたのと同然の行為」と糾弾しこれを契機に原盤権の獲得へ奔走することになる。その結果、後のファン投票によるベストアルバム「FAN's selection」はX時代の楽曲オリジナル音源も含めてリリースする事が出来た。 演歌・歌謡曲系歌手の場合は、一部の本人選曲・本人監修などのものや、権利が複雑化しているものを除き、過去の作品の発売に口を挟まないことが多いことから、発売をめぐるトラブルが発生が少なく、多様な作品が発売されている。
※この「ベスト盤をめぐるトラブル」の解説は、「ベスト・アルバム」の解説の一部です。
「ベスト盤をめぐるトラブル」を含む「ベスト・アルバム」の記事については、「ベスト・アルバム」の概要を参照ください。
- ベスト盤をめぐるトラブルのページへのリンク