フランス語と同人『言葉』とは? わかりやすく解説

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フランス語と同人『言葉』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:20 UTC 版)

坂口安吾」の記事における「フランス語と同人『言葉』」の解説

大学サンスクリット語などの辞書を読むために、さらにラテン語フランス語学び1928年昭和3年)に神田三崎町アテネ・フランセ初等科通い始める。そこで、フランス語成績秀で「賞」をもらうほど習熟し同校に通う長島萃、江口清とも知り合う当時安吾詰襟服にソフト帽押しつぶしたようにかぶり、まだ酒も飲まず講義欠かさず出席して神経衰弱治すために勉強打ち込んでいたと江口清述懐している。安吾は彼らと読書会開きモリエールヴォルテールボーマルシェデュアメル などに惹かれた。当時隆盛であった左翼文学プロレタリア文学には全く魅力感じず佐藤春夫宇野浩二葛西善蔵有島武郎愛読し小説家への夢を本格的に固める。この頃第2回改造懸賞創作小説応募する落選する。翌1929年昭和4年)、アテネ・フランセ中等科進んだ安吾は、校友会参加し菱山修三葛巻義敏らとも知り合った11月に再び、第3回改造懸賞創作応募し落選したとされる1930年昭和5年3月東洋大学卒業した安吾は、既成文学者のようになれない自分煩悶し、書くべきものの必然性求めて寄席レビュー歌舞伎を観たり、音楽エリック・サティなど)を聴いたり、有名になりたいという野心裏腹にカフェー支配人になろうともするが、アテネ・フランセ高等科進み本格的に20世紀フランス文学を学ぶ。5月には荏原郡矢口町安方127番地(のちに蒲田区安方町。現・大田区東矢口)に新築した家に、兄・献吉夫婦と、前年1929年昭和4年)に妹・千鶴上京してきた母・アサ移住した。母は、自分実家から資金援助安吾フランスへ留学させてやろうと真剣に考えていたが、安吾自身自信がゆらぎがちで、〈途中で自殺しそう気配の方を強く感じて〉しまい、留学踏み切れなかったという。11月に、アテネ・フランセ友人葛巻義敏長島萃、江口清山田吉彦きだみのる)らと同人誌言葉』を創刊創刊号翻訳「プルウストに就てのクロッキ」(マリイ・シェイケビッチ)を掲載したこの頃から同人仲間神楽坂神田銀座新橋飲みに行くようになる同月14日には、兄妹の中で一番好きだった異母姉・ヌイ黒色肉腫のため死去40歳で没)。

※この「フランス語と同人『言葉』」の解説は、「坂口安吾」の解説の一部です。
「フランス語と同人『言葉』」を含む「坂口安吾」の記事については、「坂口安吾」の概要を参照ください。

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