フォーメーション、ポジション、パス
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「シェフィールド・ルール」の記事における「フォーメーション、ポジション、パス」の解説
初期のゲームでの選手の数は定まっていなかった。また、ハンディキャップを付けるためや人が来なかった場合には、異なる人数間で試合を行うこともあった。シェフィールドとハラムとの最初の試合での選手数は16人対20人であった。大部分の試合は現代よりも多い人数で行われていた。1863年10月、シェフィールドは1チームの選手数を11人のみとすることを宣言した。これにもかかわらず、様々な人数で試合は行われており、1867年までのシェフィールドでの大多数の試合の1チームの選手数は11人から14人の間であった。 コード内で発達した最初のポジションの1つは、「キック・スルー」(kick through)と呼ばれていた。このポジションはシェフィールド・ゲームに固有であり、オフサイドルールがないために発展したものである。キック・スルーポジションにいる選手の仕事は相手ゴールの近くに留まり続け、スルーパスを待つことだった。この戦術は今日、「サクランボ狩り」(cherry picking、いいとこ取りの意)や「ゴール・ハンギング」(ゴールの周りをうろつくこと)と呼ばれている。1871年までに、このポジションは現代のフォワードとなった。キック・スルーに抵抗して「カバー・ゴール」が発展した。名称にもかかわらず、このポジションの仕事はキック・スルーをマンマークすることであった。 C・W・アルコックによれば、シェフィールドは現代的なパススタイルの最初の証拠を与えた。これはコンビネーション・ゲームとして知られている。早くも1865年1月には、シェフィールドFCはノッティンガムに対して「科学的動き」によってゴールを決めていた。同時代の1865年11月の試合レポートには、「我々は、シェフィールドの選手が互いに援護し合う本当に科学的なプレーを記録せずにはいられない」と記されている。シェフィールドの選手によるコンビネーションプレーは1868年にも示唆されている: 「K. Smith、Denton、J. Knowlesの側での非常に巧妙で素早いプレーによってシェフィールドのゴールが生まれ、最後のキックはJ. Knowlesによるものだった」。パスに関する同時代の証明は少くとも1872年1月にある。1872年1月、ダービーに対する以下の記述があった: W. ortonは慎重なプレーの見本によってゴールのごく近いところでボールを走らせ、それはJ. Marshへと戻され、Marshは素晴しいまっすぐなシュートを蹴った」。「ゴールのごく近いところで」起こったこのプレーはショートパスであることが示唆され、ボールがMarshへと「戻され」ことは、このプレーが2つのパスの2番目だったことを示唆している。この記述は、その他の興味深い初期の戦術についても触れている:「このゴールは大成功を収めたT. Butlerのコークスクリュープレーと人の目を欺く戦術のアート博覧会の一つによって補われた。これらは観客の笑いの感覚を興奮させる効果があった」。同様に、パスに関する以下の同時代の記述は1872年1月に書かれた: 「試合で決められた唯一のゴールはシェフィールドによって得られた、これはSteelがフィールドをうまく駆け上がったおかげであった。SteelはボールをMatthewsへと賢明にパスし、Matthewsは、うまい真っ直ぐなキックによって、ゴールの守衛の手の届かない位置にボールを入れた」。この試合(対Notts戦)は、特にW.E. Cleggによる「よいドリブルとキック」の同時代の証拠も提供した。しかしながら、グラウンドの状態は「本当に科学博覧会を阻止する方向に作用した」。これは、普段は彼らのプレーはさらにいっそう「科学的」であったことを示唆している。1872年3月の彼らのプレーは「なかなかの秩序の速さ、大胆さ、および科学」と描写された。 クロスバーの導入前は、チームはゴールキーパーを置かずにプレーできた。ゴールキーパーについての最初の言及は1862年の「ブラモール・レーンの戦い」の記事中に現われる。しかしながら、このポジションは選手を退場させることの代わりとして使われた。FAの規則とは異なり、シェフィールド・ルールは手を使ったボールの扱いを指定さた1名の選手に制限することはなかった。これにもかかわらず、1870年代までにチームは大抵このポジションに1人の選手を置いた。 1871年12月に行われたシェフィールドFAとFAとの間の試合はいくつかの新しいポジションの発生の証拠として有名である。フォワードに関する初めての言及と共に、「サイド」(現在はウィンガーと呼ばれる)も初めて言及された。チームの残りの選手がミッドフィールドを構成した。ハーフバック(現代ではセンターバックと呼ばれる)は翌年に言及された。1870年代中頃までに2人のカバーゴールと2人のハーフバックによって補助される1人のゴールキーパーを使うのが一般的であった。攻撃は5人のミッドフィールダーと1人のフォワードによって構成された。これは2-2-5-1フォーメーションである。
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