フィンランド最高司令官
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「カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム」の記事における「フィンランド最高司令官」の解説
「冬戦争」および「継続戦争」も参照 1939年8月、ソビエト連邦はドイツとの間にモロトフ=リッベントロップ協定を結び勢力圏の確認をすると、フィンランドに対して東カレリアとの交換でカレリア地峡の割譲を要求した。 ソ連の要求は主にレニングラードを攻撃することのできる範囲をフィンランドが保有していることに対して安全保障のための領域を獲得するものだった。しかし、カレリア地峡はフィンランドの人口のおおよそ10%が居住し、工場も多く建設されておりフィンランドとしてはこれを割譲することはできなかった。マンネルヘイムやソ連との交渉を担当したパーシキヴィは要求の受け入れを進言したが内閣は拒否し、交渉は決裂した。マンネルヘイムは10月17日再度辞任を撤回し、フィンランド軍の最高司令官を引き受けた。公式にはソビエトの攻撃があった後の11月30日に最高司令官職についている。この攻撃によって冬戦争が開始された。マンネルヘイムの気持ちは娘ソフィーへの手紙に書かれている。「歳と健康を考えれば私は最高司令官の重責など引き受けたくなかった。しかし私は政府と大統領の懇願に膝を折らねばならなかった。私は今4度目の戦争の中だ。」 戦争が始まるとその日のうちにマンネルヘイムは最高司令官として国防軍にその日の最初に命令を出した。 大統領は1939年11月30日をもって私をフィンランド軍の最高司令官に任命した。勇敢なるフィンランドの兵士諸君!私がこの職に就いた今、我々の不倶戴天の敵が再びわが国を侵している。まずは自らの司令官を信頼せよ。諸君は私を知っているし私も諸君を知っている。また、階級を問わず皆がその本分の達成のためであれば死を厭わないことも知っている。この戦争は我々の独立の継続のため以外の何者でもない。我々は我々の家を、信念を、国を守るために戦うのだ。 マンネルヘイムは急いで自らの司令部をミッケリに再編成し、アクセル・アイロ中将とカール・ルドルフ・ワルデン大将が補佐した。アクセル・アイロはマンネルヘイムの親しい友人であり、ルドルフ・ワルデンは1939年12月から1940年3月27日まで司令部の代理人として内閣に送られ、戦後に防衛相となった。 マンネルヘイム自身は冬戦争と継続戦争の大半でミッケリの司令部を使ったが、何度も前線へ足を運んだ。1940年3月12日に締結されたモスクワ平和条約によって冬戦争は終結した。憲法上は戦争が終結すれば最高司令官は大統領であるキュオスティ・カッリオや後を継いだリスト・リュティに戻さねばならなかったが、カッリオもリュティも留任させた。 冬戦争の後、デンマークとノルウェーはヴェーザー演習作戦でドイツの侵攻を受け、ソ連はバルト三国を占領した(バルト諸国占領)。1940年7月、ドイツからの密使がリュティとマンネルヘイムを訪れ、ドイツはフィンランドの独立を認めることを伝えた。8月にドイツはノルウェーに進駐している軍人の往復のためにフィンランドを通過する許可を得た。マンネルヘイムはスウェーデンと共同した中立化を画策したが、ドイツはフィンランドが中立になることを認めなかった。 独ソ関係が険悪化する中、ドイツ軍はフィンランドに駐留し、ドイツ軍80,000人の指揮権の譲渡をマンネルヘイムに対して提案した。マンネルヘイムはフィンランドをドイツの戦争目的に結び付けないように断った。マンネルヘイムはナチス・ドイツの政府との関係を可能な限り形式的なものに保ち、同盟のための条約の拒否に成功した。 6月22日、ドイツがソ連に対してバルバロッサ作戦を開始するとフィンランド領からドイツ軍が攻撃をはじめ、これに対してソ連はフィンランドに空爆を行った。こうしてフィンランドとソ連間でも戦争が始まり、マンネルヘイムの発案でフィンランドはこの戦争を継続戦争と呼称した。フィンランド国内からドイツ軍が侵攻したが、マンネルヘイムはドイツへの支援は控え、フィンランド軍にレニングラード包囲戦の手伝いをさせることは堅く拒否した。 マンネルヘイムの75歳の誕生日である1942年6月4日に、政府はフィンランド元帥(英語版)(フィンランド語: Suomen Marsalkka、スウェーデン語: Marskalk av Finland)の称号を与えた。彼はこの称号を得た唯一の人間である。この日、マンネルヘイムの誕生日を祝してアドルフ・ヒトラーが急遽訪問したが、これはあまり嬉しくない出来事であり、マンネルヘイムを困惑させた。
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