ビーレフェルト市電時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 16:34 UTC 版)
「ビーレフェルト・シュタットバーン」の記事における「ビーレフェルト市電時代」の解説
ビーレフェルトの街に市内電車(Bielefelder Straßenbahn)が登場したのは1900年12月20日の事で、当初の路線はRettungshaus - Brackwede-Dorf間、12両の電動車と8両の付随車により30分間隔のダイヤが設定されていた。翌1901年5月23日は路線延長、車両増備、列車の増発が実施され、以降も更に規模の拡大が続いた。1912年の段階で総延長は15.05kmとなり、第一次世界大戦の勃発に伴う延伸計画の中断があったものの1928年には3路線を有する路線網となった。一方、1920年代の経済危機の影響による路線建設計画の中断という事態も生じ、この区間には1925年10月15日以降路線バスが運行される事となった。 以降も路線拡張に加え車両の大型化、路線の複線化などの近代化が実施されたが、第二次世界大戦の勃発はビーレフェルト市電にも大きな影響を与え、1945年3月31日の空襲により甚大な被害を受けた結果全線で運行を休止するまでに至った。終戦後の6月28日には一部区間で営業運転を再開したが、使用可能であった車両は電動車20両と付随車30両のみであり、バスによる代行運転が実施された。それ以降は車両や施設の戦災復旧作業が続き、戦前の状態に戻ったのは1950年であった。 その後は再び路線の拡張が始まり、バスとの連携も踏まえた延長計画も遂行された。また乗客増加に対応するべく1951年に従来の二軸車2両の間に台車がないフローティング車体を挟んだ3車体連接車が製造されたが電動機の出力不足が問題視され、本格的な連接車は1956年以降導入されたデュワグ製の2車体(GT6形)・3車体(GT8形)連接車(デュワグカー)となった。またそれ以前の1954年にもデュワグ製のボギー車(T4形、B4形)の導入が行われたが、うち電動車であるT4形については1962年に付随車のB4形への改造・編入が実施された。
※この「ビーレフェルト市電時代」の解説は、「ビーレフェルト・シュタットバーン」の解説の一部です。
「ビーレフェルト市電時代」を含む「ビーレフェルト・シュタットバーン」の記事については、「ビーレフェルト・シュタットバーン」の概要を参照ください。
- ビーレフェルト市電時代のページへのリンク