ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発
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「日本の脚気史」の記事における「ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発」の解説
太平洋戦争末期の1944年(昭和19年)11月16日、ビタミン生産が思い通りにならない中、突然「ビタミンB1連合研究会」という国家総動員的な組織が誕生した。会員の構成、発会の趣旨、研究の方針は、かつての臨時脚気病調査会(陸軍大臣所管の国家機関)・脚気病研究会(学術研究機関)とよく似ていた。ビタミンB1連合研究会は、3回の開催で敗戦となったものの、解散を命じられることなく、改名しながら「ビタミンB研究委員会」(1954年、昭和29年以降)として続く。 1950年(昭和25年)12月2日の研究会で、京都大学衛生学の藤原元典は、ニンニクとビタミンB1が反応すると「ニンニクB1」という特殊な物質が出来ると報告した。さらに藤原は、武田薬品工業研究部と提携して研究を進め、1952年(昭和27年)3月8日に「ニンニクB1」はニンニクの成分アリシンがB1(チアミン)に作用してできる新物質であること(よって「アリチアミン」と命名)。また、アリチアミンは体内でB1に戻り、さらに腸管からの吸収がきわめて良く、血中B1濃度の上昇が顕著で長時間つづく、という従来のビタミンB1にはない特性があることを報告した。B1誘導体アリチアミンの特性には、研究会の委員一同が驚き、以後、研究会では、その新物質の本体を解明するため、総力を挙げて研究が行われた。 また、藤原と提携して研究を進める武田薬品工業は、アリチアミンの製剤化に力を入れた。多くのアリチアミン同族体を合成し、薬剤に適する製品開発に努めた結果、ついに成功したのである。1954年(昭和29年)3月、アリチアミンの内服薬「アリナミン錠」が、翌年3月には注射薬の「アリナミン注」が発売された。ともに従来のビタミンB1剤に見られない優れた効果を示した。その効果によってアリナミンは、治療薬・保健薬として医学界にも社会にも広く歓迎され、また同業他社を大いに刺激した。そして1968年(昭和43年)までに11種類のB1新誘導体が発売されたのである。 アリナミンとその類似品の浸透により、手の打ちどころがなかった潜在性脚気が退治されることとなった。日本国民の脚気死亡者は、1950年(昭和25年)3,968人、1955年(昭和30年)1,126人、1960年(昭和35年)350人、1965年(昭和40年)92人と減少したのである。 「栄養学#主食論争」も参照
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