ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発とは? わかりやすく解説

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ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 22:20 UTC 版)

日本の脚気史」の記事における「ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発」の解説

太平洋戦争末期1944年昭和19年11月16日ビタミン生産思い通りにならない中、突然「ビタミンB1連合研究会」という国家総動員的な組織誕生した会員の構成発会趣旨研究方針は、かつての臨時脚気調査会陸軍大臣所管国家機関)・脚気研究会学術研究機関)とよく似ていた。ビタミンB1連合研究会は、3回開催敗戦となったものの、解散命じられることなく改名しながら「ビタミンB研究委員会」(1954年昭和29年以降)として続く。 1950年昭和25年12月2日研究会で、京都大学衛生学藤原元典は、ニンニクビタミンB1反応すると「ニンニクB1」という特殊な物質出来ると報告した。さらに藤原は、武田薬品工業研究部提携して研究進め1952年昭和27年3月8日に「ニンニクB1」はニンニク成分アリシンB1チアミン)に作用してできる新物質であること(よって「アリチアミン」と命名)。また、アリチアミン体内B1戻り、さらに腸管からの吸収きわめて良く血中B1濃度の上昇が顕著長時間つづく、という従来ビタミンB1にはない特性があることを報告したB1誘導体アリチアミン特性には、研究会委員一同驚き以後研究会では、その新物質本体解明するため、総力挙げて研究が行われた。 また、藤原提携して研究進め武田薬品工業は、アリチアミン製剤化力を入れた多くアリチアミン同族体合成し薬剤適す製品開発努めた結果、ついに成功したのである1954年昭和29年3月アリチアミン内服薬アリナミン錠」が、翌年3月には注射薬の「アリナミン注」が発売された。ともに従来ビタミンB1剤に見られない優れた効果示した。その効果によってアリナミンは、治療薬保健薬として医学界にも社会にも広く歓迎され、また同業他社大い刺激した。そして1968年昭和43年)までに11種類B1誘導体発売されのであるアリナミンとその類似品浸透により、手の打ちどころがなかった潜在性脚気退治されることとなった日本国民脚気死亡者は、1950年昭和25年)3,968人、1955年昭和30年)1,126人、1960年昭和35年350人、1965年昭和40年92人と減少したのである。 「栄養学#主食論争」も参照

※この「ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発」の解説は、「日本の脚気史」の解説の一部です。
「ビタミンB研究委員会、「特効薬」の開発」を含む「日本の脚気史」の記事については、「日本の脚気史」の概要を参照ください。

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